『古事記』の「帝紀」削除

蜂飼 話題がいくつかに飛んでしまうと思うのですが、よろしいでしょうか? 『古事記』をめぐって論じられた箇所ですが、「帝紀」の削除について伺えますか? 

藤井 はい。「帝皇日継」と「先代旧辞」とを資料としていると、いまの『古事記』学の水準では、そう言うんです。稗田阿礼の誦み習った「帝皇日継」と「先代旧辞」とを資料として、太安万侶が編纂して作られた書だと。でも、それは序文の趣旨に反している。序文をよく読めばわかります。漢文的な節略という説、たとえば、山田孝雄『古事記序文講義』(国幣中社志波彦神社・塩竈神社、1935)などがあるけど、節略なんて、こんな場合、漢文の流儀にないですよ。
 『日本書紀』に見える「上古諸事」(天武10年3月)という言い回しについては、“上古”“諸事”だから、“古事”(フルコト)です。それって『古事記』の成立に関する記事じゃないの? と。序文の中に出てくることはそのことだと。『日本書紀』に書かれている記事だから、『日本書記』そのものの編纂の始まりを示した一節だ、という理解が多数派だったんだけど、少し考えてみればわかることとして、『日本書紀』自体の叙述内容は、推古で終わらないでしょう? その後、舒明、皇極、孝徳、斉明、そして天智、天武、持統と、時代がさがるに連れてぶ厚くなり、持統11年(文武元年、694)まで、延々と記事が続けられてゆく。だから、「上古諸事」を「記し定める」ということと、『日本書紀』の記事内容とは大きくくい違っている。「上古諸事」はそのまま「旧辞」あるいは「先代旧辞」に一致すると私は考える。『古事記』は「帝紀」と「旧辞」とのうち、「旧辞」を纏めた書であって、「帝紀」をベースにしているとは序文に書かれていない。
 じつは私の学位論文なんですよ。ちょっと長い論文なんだけど、800ページぐらいのうち、100ページ使って『古事記』の成立を論じたんです。『物語文学成立史―フルコト・カタリ・モノガタリ』(東京大学出版会、1987)です。
 古伝承を指すフルコトという語が、最も古い叙事文学の呼称で、『古語拾遺』も『先代旧事本紀』もフルコトの書にほかならない。『古事記』はついに「帝紀」を消しちゃうわけで、「旧辞」だけで『古事記』のベースを作っているっていうのが、並べてゆくと如実にわかる。学位論文を書いたとき、これで通説を引っくり返せる、と思ったわけです。「上古諸事」をフルコトとして論じている論文を探すと、ごく少数なんだけど、平田俊春『日本古典の成立の研究』(日本書院、1959)とか。知られていない人たちですよ。そういうのを見つけてくるんです。

蜂飼 序文を正確に読めば、「帝紀」が外されていると読めるはずなのに、そんなはずはない、というある種の思い込みのもとにいろいろなことが論じられてきたのだろうと、藤井さんは主張されたのですね。

藤井 そうです。『古事記』研究の特に戦前は「帝紀」を外すなんて考えられない。

蜂飼 時代の影響も大きいですね。

藤井 はい。『古事記』研究は、時代の流れに縛られて、天皇の歴史の起源を削除するなんて許しがたい、ありえない、とね。私は『物語文学成立史』でフルコトという言葉をサブタイトルで使って主張した。だけど、結局、『古事記』の研究の流れを変えることまでは出来なかったんです。

蜂飼 流れを変える。どういった意味でしょうか? 

藤井 変えることが出来ていたら、つまり定説化できたらね、いま、こんな時代になっていなかったんじゃないかと、そんなことを思うわけです。

蜂飼 節略がありえない、という論への反論もまた生じたということですか? 

藤井 節略っていうのは、『古事記全註釈』(三省堂、1973-1980)の倉野憲司などは、その説ですよね。でも、山田孝雄や倉野憲司への批判なんて受け入れてもらえない。