平安時代最初の100年
蜂飼 平安400年のうちの最初の100年は「現地語、ヴァナキュラー語」で書かれた書物がない、というご指摘を繰り返しされていますね。
藤井 はい。本になっていない。現地語、和語の本がない。
蜂飼 「日本文学のピークと一般に見なされている平安王朝なのに、その最初の百年である九世紀に、日本語で書かれた書物が一冊もない」というかたちで、藤井さんは注目されています。このことに関して、教えてください。
藤井 はい。400年、平安時代はどういう時代だったか。たとえば1つの例ですが、死刑についてです。思想史的にも死刑廃止だもんね。それが、300年余り。そんなに死刑がおこなわれない時代って世界的に見ても考えられないわけです。
蜂飼 それは仏教の影響でしょうか?
藤井 仏教は確かに1つの理由で、死刑廃止ってことが、自然にあったというより、思想的にね、政治としてあったわけですよ。死刑ということをやめましょう、と。そういうのが続く時代が平安時代。文字通り、平安だと思いますね。そのさなかに物語文学が生まれてくる。死刑は廃止され、大きな戦争はない。
蜂飼 遣唐使もやめましたね。それである意味、閉じていく。その中で死刑もなくなっていく。
藤井 なくなる。律令上は残るとしても。
蜂飼 そのような時代の中に物語文学が開花していく、という見取り図でしょうか。『古今和歌集』ができる前後の「かな」についてですが、言葉をどういうふうに記述するかという動きは、とても面白い、興味深い点です。『古今和歌集』の直後くらいから一気に100年かけて、物語が花開くと。そのあたりの時代の変化については、どうご覧になっているでしょうか?
藤井 そう、100年かけて物語が量産される。『古今和歌集』は、10世紀初頭ですよね。平安の初め100年間、日本語で書かれた本はないんだけど、その間に大発達をとげてゆくのが「かな」。9世紀っていう100年を、「かな」の練習期として想像するしかない。ぽっかりした空白じゃなくて、まさに「かな」の練習期として、平安時代を作り出す肥料というのかな。9世紀の100年というのは、「かな」も成立するし、とくに歌語り。歌物語の前に、歌をめぐってお話も作るという歌語りですね。万葉にもあるし、それが10世紀に入ると、『伊勢物語』とか『大和物語』とかになってくる。『伊勢物語』は9世紀にかたちづくられだすから、それがまあ、証拠ですよね。9世紀は、歌をめぐるおしゃべりです。
蜂飼 少し飛ぶかもしれないんですが、『源氏物語』は、歌が何十ページも出てこない箇所(若菜上)があって、歌と物語とが対立している、と言える、と書かれていますが?
藤井 そのころの、私家集っていうの? 個人個人の歌集もいっぱい出るし、藤原道綱の母の『蜻蛉日記』とか、だいたい、歌日記ですよね。そういうふうにして歌が成熟して、みんなの共有財産になってゆく。そこから物語文学、とくに何十ページも歌語りがなくても成り立つような『源氏物語』が生まれてくる。それはその通りで、歌から独立しても生きられるわけですが、その準備としては、その用意は歌語りにあると。『源氏物語』だって、歌がいっぱいあるわけだから。
蜂飼 795首とありますね。
藤井 そうです。ある意味では、歌語り的な面を残している。