『源氏物語』の精神世界

蜂飼 それから、『源氏物語』の仏教に関してです。拝読しながら、これは大変面白い問題だと思いましたが、常不軽についてです。法華経の常不軽菩薩品です。藤井さんはこう書かれています。
 「ここに不思議な新興宗教がある。ころは十世紀。寒夜、あけがたまで家々を回り、額づくのか、杖で地面をつくのか、「つく」という動作を繰り返し、千鳥に競うかのような哀切な声を門外から響かせ、病人がいるなら病人に聴かせる。唱える回向の句は法華経の常不軽菩薩品の一節で、その句をたずさえて、町中をわたり歩くという修行者たちだ。まちがいなく、かれらは乞食僧の姿をしていたろう」。

藤井 常不軽ね。あれは面白い問題ですよ。

蜂飼 とくに、宇治十帖の大い君が病の床に伏している場面に出てくるんですね。陀羅尼を阿闍梨が読みますが、大い君の病状に、それだけでは足りないということか、門のところへ呼んだ修行者たちの声を聴かせるわけですね。佐藤勢紀子論文「不軽行はなぜ行われたか―宇治十帖に見る在家菩薩の思想」(『日本文学』2008・5)に触れながら、藤井さんは考察をされています。そして「『源氏物語』の内的世界を、十世紀、十一世紀以前の精神世界に置き直して読むことにする。もしひとびとの内面を彩る宗教が、決まり切った一種や二種に限定されてしまっている時代ならば、『源氏物語』が生まれることはなかったろう」と。
 さらに、「八世紀か九世紀かには始まっていたらしい乞食行が、『源氏物語』にも見られるとか、鎌倉時代になって優勢になるはずの“悪人往生”が、早く『源氏物語』のどこかに覗いているとか、従来の宗教史の常識を混乱させる事態が、この物語のなかだとふつうのことなのかもしれない。こうした実態を描いて見せてくれるのが文学という装置の効用ではないか」と、まとめられています。
 『源氏物語』の仏教というと、天台浄土を中心に据えて眺めるというのが、広く行き渡った方法だったと思うのですが。早くから常不軽という、いわば当時の新興宗教的なものが取り入れられているというのは、どういうことでしょうか?

藤井 紫式部は、生まれた年を推測すると、西暦で971年。15歳で書き始めて、10世紀終わりから11世紀の初頭にかけて、35年かけて源氏を書いて。

蜂飼 えっ、そうなんですか?

藤井 そうなんです。私はそう考えています。繰り返し考えてきたことで、私の説ではそうです。紫式部は、35年かけて書き続けて、『源氏物語』を書き終えた段階で、50歳ですよ。
 だから、どういうことかというと、そこまでの時代が『源氏物語』に反映することはありうる。『源氏物語』の中は、完全に10世紀の文学だから、仏教にしろあくまで10世紀の範囲内で物語のなかを読むことになる。これまた源氏の研究者たちから叱られるんだけど、最近はもう、恐いものなしだから言うと、光源氏が何年に生まれたか、西暦912年です。

蜂飼 すごく具体的ですね。

藤井 そう。延喜12年ね。その年に光源氏が生まれている。高麗の相人という人物が出てくるでしょう? 

蜂飼 相人。人相見ですね。幼い光源氏の将来について述べる人物です。

藤井 そう。渤海の人たちが、高麗になだれこんできて、王国を作り上げていくわけね。渤海が滅びる直前に、日本に来ている。

蜂飼 はい。渤海使も、その終わりのほうでは元々の役割りをほとんど果たしていなかったんですね。菅原道真が応対したころはすでに衰退していたと。

藤井 はい。そういうのが、『源氏物語』に反映するというのかな。歴史と重ねると、怒る人いるけど。渤海の人たちが来るのと、高麗の相人のこととが重なる。もっと、ぴったり重なるのは、平将門の乱、藤原純友の乱です。光源氏が都にいられなくなるでしょう? 須磨、明石へ行く。それがちょうど、平将門や藤原純友の乱にぴったりなの。光源氏は都から出て、なんで須磨、明石にやって来たのか。そのあたりを全部、純友の水軍がおさえてるわけでしょう。大宰府なんて、純友が全焼させちゃうのです。明石の入道はパワーを持ってるから、光源氏だって、もしもですよ、明石の入道が斡旋して純友の軍勢と結託したら、京都の政権なんていちころじゃないですか。

蜂飼 なんだかすごい話ですね(笑)。

藤井 すごい話ですよ(笑)。そんなことにならないように、紫式部は、平和にね、明石の君と結びつけて、産んだ子のパワーで王権を掌握して、と。と言っても、明石の君が産んだのは娘だから、入内させて、将来的にはそのようにして王権と結びつく。明石の君が六条院を最も深いところで支える。

蜂飼 なぜ御息所の生霊が、明石の君に取り付かないのか、という視点についてですね。

藤井 はい、守護霊だからです。

蜂飼 明石の君は、『源氏物語』の中でも大きな存在です。藤井さんは、明石の君について、歌も上手だと書かれていますね。

藤井 はい。明石の君は、『源氏物語』の根底を支える女性です。先ほどの話を続けると、光源氏は53歳で物語の表面から退場する。薫は28歳まで『源氏物語』に出てくるから、合わせて75年ですよね。75年の歴史を扱っている小説ですから。天台浄土が隆盛になるのは平安末期ですから、『源氏物語』の研究の業界は、200年後のことを10世紀に持ってきて説明している。『往生要集』は10世紀の最後のところだから、それを強調すれば、まったく無理というわけではないんだけれど。

蜂飼 でも、浸透するのはそれより後の時代なので、ということでしょうか?

藤井 『源氏物語』が舞台としている精神世界というか、それは10世紀代ですよね。常不軽信仰は、10世紀代からすでにありました。10世紀代の仏教というと阿弥陀さんは冷たい仏さんで、みんなを救うんじゃなく、選ばれた人だけを救う。だいたい救われないです。夕顔は阿弥陀から受け取りを拒否されて、もののけになるでしょう? 10世紀代の仏教ってのは、宗教者もいろいろいて、ぶつかりあったり、競争したりして、それで新興宗教も生まれてくる。大い君のお父さんの八の宮は成仏できないわけだからね。

蜂飼 さまざまな精神世界、宗教が入り交じっているところを、『源氏物語』に見ることができると。

藤井 はい、そうです。『源氏物語』の女性主人公の一人ひとりにはりつく仏様が違っていて、面白い問題です。

中編へ続く