「時間の筒」という考え方

藤井 土器のほうで言うと、縄文土器と弥生土器とは、ぜんぜん違うでしょ? 縄文土器が弥生時代に作られることはないでしょう? また弥生土器が縄文時代に作られることもないでしょう? 土器のほうの編年は、はっきりさせることができる。それに対して文学史は、土器の編年とは違うから、入れ替わったりする。

蜂飼 どっちが古いか新しいか、わからないことがある、と。

藤井 私は「時間の筒」って書いたんです。輪切りにすると、1つの端から覗けば神話に見えるけど、もう片方の端から覗くと昔話に見える。繫がっているっていうことかなと。

蜂飼 1つの筒を、どちら側の穴から覗くかによって、捉えられる様相が違う。

藤井 はい。我々が具体的に知っている神話というのは、『古事記』とか『風土記』だからね。だけど、「時間の筒」を考えれば、それはもっと古いところがあるんじゃないかとか、いろいろ論じられてよいのではないですか。

蜂飼 たとえば、浦島子とか竹姫とか、思いがけないかたちで古いところにもあるし、室町期の御伽草子などにも繫がっていくということですね。

藤井 そう、昔話紀ということを考えると、言語の問題が出てくるんです。縄文語の研究をしている人が、縄文語と弥生語とは繫がっていると言うんだけど、私は、入れ替わっているんじゃないかと思います。小泉保さんという研究者で、東北の方言とか、琉球語とかを調べて、あれもこれも縄文語に繫がると言うんだけど、全部、単語レベルなんですよ。

蜂飼 つまり自立語ですか?

藤井 そう、意味語。時枝誠記の言う意味語ね。動詞や形容詞は自立語、意味語。それに対して助動辞、助辞は意味を有せず、非自立的で、働きとしての機能のみ作用する機能語。これについては『文法的詩学』(笠間書院、2012)で論じました。

蜂飼 どうやって縄文語を抽出できるんですか?

藤井 たとえばトンボは、アキヅ(蜻蛉、秋津)で見ると、ずっと繫がると。アキヅっていうのは、それこそ、秋津島(秋津洲、蜻蛉島)ですが、縄文からずっと来てるんだろうって、繋げてゆくんですね。だけど全部、単語なんですよ。単語だけなら、繫がっていいと思うんです。
 でも、さっき自立語って言ってくださったように、単語よりさらに言語の、構造的って言うのかしら、もっと深層にある部分、そういうところがまったく入れ替わることがあるんじゃないかなって、私は考えているんです。

蜂飼 文法に関わることですね。単語だけのことでなく、言語の構造の深層が変化して、捉え方がまったく変わっちゃった、という。藤井さんは、昔話紀の後にフルコト紀(『古事記』『日本書紀』の神話)を考えられています。古墳時代、3世紀代から7世紀代だと。これについては「原神話と記紀神話とを分けた上で、分けておきながら、原神話と昔話とが大きく重なると見つめたい。前者を母胎としながら、後者は発達し続けることだろう。そんなかさなり具合を〈神話=昔話〉というように名づけたい」と。このイコールは、完全に等しいという意味ではないですよね?

藤井 ええ、パーレン使っているからね。

蜂飼 幅を持たせたイコールですね。

藤井 未分化、ということですね。

蜂飼 その後に、物語紀を置かれています。これは7、8世紀か13、4世紀ごろ。そして最後に、ファンタジー紀。これが14世紀からほぼ現代。このように5つの「紀」に分けて、『日本文学源流史』は書かれていますね。

藤井 はい、その通りです。