星を見、音楽を聴き、鉄道に乗る哲学

福嶋 哲学にからめると、音楽は文字通り形而上学的なところがあって、フィジカルな妨害を受けずに秩序立った世界をつくることができる。哲学者が音楽に興味を持つのは当然でしょう。と言いつつ、しかしハイデガーは音楽について語らない人ですよね。

佐々木 そうですね。ハイデガーは貧しかったこともあって、あまりそういう趣味はなかった。

福嶋 ゴッホの描いた農民の靴については語るわけですが、音楽は彼の哲学から除外されている。ハイデガーの論敵のアドルノとはそこが対照的です。

佐々木 ただ、立教に勤めてから2度、1年ずつドイツで生活する機会があったのですが、向こうではクラシックの音楽は日常に馴染んでいる。哲学・思想と芸術というのは、やはりいろんな形でつながっていて、そういう文化とセットでひとつの世界観があるんだと思います。

福嶋 なるほど。ちなみに、20世紀後半のピアニストはまさに「解釈者」としてすごいと思うんです。ピアノという合理化された楽器を使ってロマン派のべったりした感じをそぎ落とし、非常に計算的にやっていく。グレン・グールドはその解釈学の一つのピークでしょう。どんな音楽を聴くかは当然、思想にも直結してくる問題です。佐々木先生は最近はオペラもよく聴いておられるそうですね。

佐々木 オペラを聴くようになったのはここ10、20年ぐらいです。以前は台本としてはくだらないのが多いから、あまり聴かなかったのですが。

福嶋 確かに文学的には読むに耐えないものが多いと思います。

佐々木 だから音楽の趣味からオペラは排除していたのですが、1993〜4年にテュービンゲン大学に1年ほどいた時にオペラと出会い直す機会があったんです。向こうではガダマーの弟子のギュンター・フィガールという人にお世話になったのですが、彼がシュトゥットガルトのオペラ劇場でやっていたプッチーニの『ラ・ボエーム』に連れて行ってくれて、実際に聞いてみてやはりオペラもいいなと思ったんですね。

福嶋 シェーンベルクは意外にプッチーニが好きだったとか……。

佐々木 そうなんですか。帰国後も、私は京王線の沿線に住んでいるので、初台の新国立劇場で結構安い料金でオペラを観られる会員になったらはまったんです。プッチーニもヴェルディもとてもいいし、ワーグナーには必ず行っています。

福嶋 ワーグナーと言えば、必ずニーチェが連想される。逆に20世紀の哲学にはそういう対応関係がありませんね。星も見なければ音楽も聴かない、という哲学者の典型がハイデガーかもしれません。もちろんハイデガーは恐ろしく偉大ですが、それ以前の雑多さを取り戻す必要はあると思います。

佐々木 だから、学生諸君も勉強だけでなく、いろいろなことにチャレンジしてほしいんです。もちろん勉強は大事ですが、いろんな幅を持っているとその勉強がより生きます。そういうことは一貫して伝えてきたつもりです。

福嶋 ありがとうございます。最後になりますが、比較文明学専攻は1998年に創設され、本紀要も今号でちょうど20号という区切りを迎えます。創設から現在までを見てこられた佐々木先生から、比較文明学専攻と文芸・思想専修にメッセージをいただけますか。

佐々木 比較文明学専攻と文芸・思想専修の創設当時、私は一番若い世代としてその創設にかかわりました。そこで知ることができた先輩たちの思いというのを自分なりに咀嚼して、これまでやってきました。何事も経緯というのがありますし、ガダマーの解釈学ではありませんが、やはり伝統というのはあります。比較文明学専攻と文芸・思想専修のコアの精神を伝えていただきながら、新しい思想、新しい文化、そして新しい学生を迎えていってほしいと思います。

(2019年9月6日 立教大学佐々木一也研究室にて)