宇宙人と哲学

福嶋 最近は惑星研究も進んでいるようですが、地球以外の新たな居住空間が発見されると、哲学にも影響があるでしょうね。火星に住めるようになった時に、哲学はどうなるのか……。

佐々木 人間の概念も変わるでしょうね。

福嶋 そうした天文学的な問題を哲学に組み込んでいくのは大事だと思います。

佐々木 それも技術の問題ですよね。

福嶋 ハイデガーは宇宙進出を恐れていたのではないでしょうか。ハイデガーはゲオルゲとの対比でスプートニクの話を唐突に持ち出しています。スプートニクには彼の不安を強くかきたてるものがあったんでしょう。大地も森もない宇宙空間に人工衛星が飛ぶことの存在論的な意味はどういうことなのか。詳しく議論を展開しているわけではないですが、ハイデガーは宇宙進出を彼の哲学にとっての脅威と感じていたと思います。

佐々木 科学技術に100%依存して生きるしかないわけですからね。

福嶋 空気も何もかも、技術の力によってつくらなければならない。

佐々木 そうなった時に、人間は人間でいられるかという問題がありますよね。

福嶋 そう思います。先生のおっしゃった「無」の哲学は、まさに宇宙論として考えることもできそうですね。ところで、考えようによっては、宇宙人が「存在の牧人」をしていてもいいということにはなりませんか。

佐々木 宇宙人については私もいろいろ考えたことがあって、世間では宇宙人と地球人はコミュニケーションができると思われているのだろうけど、本当にそうなのか。私たちが想像している宇宙人というのは、私たち自身をモデルにしていて、人間の言葉のような記号言語を使っているというイメージでしょう。けれどもまったく違う原理でもって動く生物もいるかもしれない。

福嶋  SFにはよくシリコン製の生物が出てきますね。

佐々木 そういうものと遭遇してしまった時にどうなるのか。人間は自分を、あるいは地球上のことをモデルにしてものを考える癖があって、「人間原理」ということを言う人もいるでしょう。

福嶋 この宇宙は人間用にチューニングされてできている、という考え方ですよね。なかなかすごい発想だと思います。

佐々木 人間原理に拠れば、必ず人間みたいな知的生命体がほかにもいるはずで、そうでなければ我々がこんなふうに理解できる宇宙があるか、ということになるわけですが、人間には、人間にとって都合がいいようなものしか見えないのだと思います。私たちは電磁波にものすごく依存して知覚経験をしていますが、それ以外にも宇宙には何かが存在しているかもしれない。

福嶋 昔だったらエーテル、最近ではダークマターと言われるようなものですね。

佐々木 我々が検出できない、我々の五感には響いてこないような何かが宇宙にある可能性も否定できないわけです。ダークマターはそうなのかもしれません。とにかくそうすると、例えば私たちは時間や空間という概念で世界を見ますが、時間や空間以外にも何かあるのかもしれないわけです。

福嶋 最近のひも宇宙論なんかは高次元を想定しているみたいですが、素人が直観的に理解できるものではないですね。

佐々木 あれも数学上の概念として、三次元ではなくn次元の空間という概念を設定しているわけですが、結局は空間と時間の組み合わせでもって宇宙像、世界像を描いているわけです。しかしそれ以外にも、我々には思いつかないような要素があるかもしれない。「自然科学は客観的で正しい」というのは、人間による人間のための人間の世界観でしかない。そういった意味で、我々は縛られていて有限なのだ、というところからものを考えていく姿勢を基本にするべきなのでしょう。

福嶋 カール・レーヴィットはハイデガーをまさにその点で批判していたと記憶しています。古代ギリシャ人はコスモスのロゴスを考えていたけれども、ハイデガーからはそういう宇宙の問題が抜け落ちている、と。ハイデガーの存在は大地とひもづけられているわけですが、それは弱点でもあるのかもしれません。