特急「あさま」の思い出

福嶋 地上に戻りまして、鉄道についてはいかがでしょうか。

佐々木 まず、私の父親が国鉄職員だったのです。

福嶋 先生は長野出身ですよね。

佐々木 そうです。長野市で生まれました。父は農地改革で土地をもらった長野の貧しい農家の三男坊で、自分は土地をもらえないから国鉄に勤めたのです。田舎にいてもたかがしれているし、折しも高度経済成長に入ろうという時代でしたから東京へ転勤を願い出たのです。ちょうどオリンピックにあわせて新幹線が開業しようという時に、志願して新幹線車両の整備をする仕事に就きました。地味な工員ではありましたが当時としては最先端の鉄道技術に触れる仕事をしていたようです。そういう父のもとで育ちましたから、鉄道にはとても思い入れがあります。

福嶋 お気に入りの路線があったりするのでしょうか。

佐々木 長野の出身なので、やはり特急「あさま」に思い入れがありますね。当時の国鉄職員は国鉄全線パスというのを持っていて本人は乗り放題、家族も7割引きで全国を旅することができたのです。それで特急「あさま」で東京から親戚のいる長野によく通いました。特急になる前は急行「信州」といって、今は「あさま」という名前だけ新幹線に残っていますが、特急「あさま」は浅間山のふもと、軽井沢のほうを通って行くので、南には八ヶ岳が見えますし、遠く、美ヶ原も見えました。

福嶋 標高が高いところを走るんですよね。

佐々木 そうです。軽井沢からは小諸へ下っていくあたりはとても見晴らしもよくて、美ヶ原のさらに奥には北アルプスの白い山が見えたりして、あの景色は忘れられません。横川と軽井沢の間には碓氷峠という、国鉄の中では一番急な坂がありました。私の小学生の頃の記憶では、上野から長野まで6時間くらいかかりました。その頃はまだ電化されておらずディーゼルカーの急行「信州」で、その力では登れない勾配でしたから、アプト式といって線路の間に第三軌条というもう1本ギザギザのレールをつくり、アプト式専用の機関車を連結してそこに歯車をかみ合わせながら上っていくのです。そのうちに碓氷峠も新しいトンネルが作られアプト式は廃止されました。新しい線路は勾配が少し緩やかになって、電化されて電車が走るようになったのですが、それでも登れないので、12両編成の特急「あさま」の場合は前に1両、後ろに2両、碓氷峠専用に開発された計3両の強力な馬力のある電気機関車が前から引っ張り、後ろから押して、上っていく。

福嶋 それはすごいキャタピラでしょうね。

佐々木 碓氷峠の下にあるのが横川駅で、峠の釜めしという有名な駅弁が売られていました。横川駅では、機関車を付けるために駅に停車時間が十数分あって、その間にお弁当を買って峠を上って食べ終わる頃に軽井沢に着く。軽井沢でも機関車を外すのに10分くらい停車していましたね。今は新幹線になって、碓氷峠そのものが廃線になってしまいました。今では当時の鉄道を物語る遺物が横川の博物館で展示されているのを見ることができます。