本記事は立教比較文明学会紀要『境界を越えて──比較文明学の現在 第19号』に収録された巻頭インタビューを再録するものです。前編、中編、後編の3パートに分けて掲載します。

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自分が小説家だと意識するまで

福嶋 今日は小野正嗣さんからお話を伺えることになり、大変嬉しく思います。小野さんは2017年に作家生活20周年を迎えられた。1997年にデビューされてから、創作はもちろんのこと、V.S.ナイポール、マリー・ンディアイ、アキール・シャルマ、ポール・ニザン、エドゥアール・グリッサン等に到るまで、翻訳も精力的に手掛けられてきたわけですね。近年の日本の小説家としては、ほとんど類例のない仕事をされてきたと思います。まずこの20年を振り返ってどうでしょうか。

小野 作家生活という感覚がないので、改めて20年と言われて、ちょっと驚きました。書き始めたときは大学院生でしたし。

福嶋 当時はまだ修士ですか。96年に短篇小説「ばあばあ・さる・じいじい」で新潮学生小説コンクールの奨励賞を受賞して、97年に『新潮』に「夜神楽」(ともに『水死人の帰還』2015、文藝春秋所収)が掲載されたのが、公式のデビュー作ですね。

小野 僕はそもそも研究者になりたかったので、大学院に行きました。『水死人の帰還』の「あとがき」にも書いたことですが、学生小説コンクールを受賞したとき、当時の『新潮』の編集長で、退職後は民俗学的な著作を発表されている前田速夫さんに呼び出されたんです。「きみは何をやっているのか」と聞かれて、大学院で研究をしていると答えたら「それは絶対に続けなさい」と。「書き続けるのは大変だし、小説で食っていくのはなかなか難しい。研究のほうもまじめにやりなさい」とおっしゃっられたんですね。
とはいえ、大学の先生にどうやったらなれるのかわからなかった。僕はフランス文学をやっていたので、どうやら留学しないといけないらしいということはわかっていた。あと、博士論文も必要なようだ、と。そんな感じでつねに研究のことが頭にありましたから、あまり自分が作家だという意識がないんです。

福嶋 いつごろから意識するようになったのでしょう。

小野 「水に埋もれる墓」(2001)で朝日新人文学賞をいただいて、そのおかげで『小説トリッパー』という雑誌で「にぎやかな湾に背負われた船」(2001)を書く機会を得ました。それが本(『にぎやかな湾に背負われた船』[2002、朝日新聞社])になったときに三島由紀夫賞を受賞した。小説家としての出だしは幸運に恵まれていました。だけど、作家として食べていくつもりは毛頭なかったので、早く博士論文を書き終えないとまずいぞと焦っていましたね。
結局、論文を提出したのが34歳のときですから、それまではずっと学生だったわけです。しかも、30歳を過ぎた頃、結婚をして子どもが生まれて、ますます何とかしなきゃならなくなった。最初から、自分が書いているものが商業的に売れるとはまったく思っていなかった。でも書きたいものはあるし、それを書く時間や機会はなるべく確保できる仕事に就きたい。研究者はそれに一番合っている仕事でした。
『浦からマグノリアの庭へ』(2010、白水社)というエッセイ集にも書きましたが、幸運なことに、僕はフランス留学中にクロード・ムシャールさんという詩人・批評家・翻訳家に会って、その人の家に居候同然で住まわせてもらいました。最初は妻も一緒だったんですが、実家で飼っていた犬が死にそうだから、亡くなるまでそばにいてやりたいということで、先に帰国してしまった。その後は数年間、毎日、朝から晩までクロードと文学についてずっとしゃべっているような、とても楽しい生活を送ることになりました。その経験からは、自分が作品を書く上でとても大切なものを与えられました。日本に戻ってきて1年は非常勤講師で食いつないで、そうしたら東大の助手の話をいただいて、次どうしようと思っていたところで、運よく明治学院大学に就職できた。それが2007年のことです。以降はわりと小説も書きやすくなりました。だけど、プロの作家という感覚はそんなにないんですね。いまだにさっきまで学生だったような気分……。

福嶋 わかります。僕もこの歳でいまだに学生気分が抜けていないので(笑)。

小野 そうでしょう。いきなり大学の先生になったものの、教えるのは大変だし、子どもも次から次へと生まれて子育ても大変です。小説は書きたいものを書く。書評とか、引き受けた仕事は一生懸命書く。翻訳は、自分がやりたいものを提案して、運がよければ訳すことができる。英語のものは、現在は台湾の大学で教えている親友の小澤自然君と相談して一緒に訳すことが多かったですね。そうやって自転車操業の日々でやってきました。なので、20年と聞くと、そんなに経っちゃったのかと驚きます。
「これで何周年だ」と言えるのは、作家として生きていく自覚と覚悟がちゃんとあった人だと思うんですよね。だけど、僕は学生生活があまりにも長すぎて、始まりがよくわからないんです。