「浦」を主題に書くのはなぜか
福嶋 マルカム・カウリーの『亡命者の帰還』(Exile’s Return、1934=『ロスト・ジェネレーション 異郷からの帰還』2008、みすず書房)に、ヘミングウェイがパリに行くことによって、故郷のアメリカのコロキアルな世界を発見するということが書かれています。小野さんの場合も、フランスに行くことによって、ご自身のふるさとを再発見・再創造したところがある。小野文学の中心にある海辺の「浦」というトポスは、移動の中で「つくられたもの」のように思えます。「浦」を文学的に構築していくプロセスはどういうものだったかをお聞かせください。
小野 当たり前ですが、人がものを書き始めるときに、どんな主題を選ぶかは自由です。僕は自分の故郷、自分が生まれ育った土地を舞台にした作品を書きたいと思った。大学生の頃好きだった大江健三郎や中上健次の小説は、ひとつの土地を舞台にして、その歴史や文化が持っている異質性を示す書き方をしていた。局所的な場所を掘ることによって普遍的なものに向かっていく作品が面白いと思ったんですね。自分がすごく田舎の小さな海辺の集落出身だからということもあるでしょう。それから、ガルシア=マルケス。ガルシア=マルケスは、大学生はみんな読むもの、みたいな雰囲気もありました。
福嶋 そういう雰囲気は今や蒸発してしまいましたが(笑)、いい時代ですね。
小野 まあ、『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス、[1967]1972、新潮社)のマコンドも消えるからいいんです。最後に一陣の風が吹いて、地上からそっくり消えますから。
福嶋 そうそう、あれは風で消えるのが面白いところですね。
小野 『百年の孤独』は、マコンドというひとつの場所を舞台に、神話や民話の登場人物を思わせるとんでもなく変な人たちがたくさん出てくる。これは後から思ったことですが、なぜガルシア=マルケスが、いわゆる第三世界の作家たちに愛読されているかというと、みんな自分たちの世界の経験、土着の前近代的なものと近代的なものとがぶつかり、混じり合う経験に似たものを、あの小説に見出したからじゃないか。
日本だろうが外国だろうが、今だって小さな土地には、何か面白いことやとんでもないことを言う、昔話や民話にでも出てきそうな風変わりな人物がいると思うんですが、そういう人に僕も幼い頃から日常的に触れていたんです。言っていることが本当か嘘かよく分からない、近代的な世界の常識から少しはみ出しているような人。その存在は、小さい世界だと余計にはっきり見えます。そして、そういう人たちがある意味で象徴的に示しているローカルで土着的な思考、合理性や合目的性に還元できない思考は、日本でもいろんな場所でいまだに息づいていると思います。
そういった世界をガルシア=マルケスは描いているのではないか。それが、アフリカとかアジアのさまざまな国で何か書きたいと思っている人たちに、ここに自分たちと同じような世界があるじゃないか、自分たちも書けるし書いてみよう、と思わせたのではないでしょうか。
話を戻すと、大江健三郎や中上健次、ガルシア=マルケスを読んでいくうち、ウィリアム・フォークナーに出会いました。フォークナーも、ひとつのローカルな場所(架空の土地、ヨクナパトーファ郡)を書くことによって豊かな文学世界をつくりだしている。そういう書き方に触れていく中で、僕も自分の生まれ育った小さな土地を書いてみたいと強く思うようになりました。それ以外の選択肢は思いつかなかった。あと、これは僕にとってけっこう重要だったのかもしれないのですが、大学に入って田舎の話をすると、周囲の友達が面白がったんですよ。
福嶋 物語的に面白いと。
小野 そう。だけど、都会には都会でそういう話はいっぱいあるんじゃないかと。よく「(小野さんは)場所があっていいね」とか言われるけれど、そうではなくて、土地とそこに生きる人との関係のつくり方が重要なのだと思います。
僕は、故郷の面白い年寄り、おじさん、おばさんたちの話から受ける不思議な感じを、作品の中に書いてみたいとも思った。それもあってか、初期の作品はミクロコスモス的というか、わりと閉じていて、息が詰まるような感じがします。当時は、文体的にもそういうものに興味があって、わりと一文の長い、息継ぎできないような文章を書いていました。濃密で閉塞した世界を書きたかったんでしょうね。それが留学してから少し変わった。もちろんそれまでも、小さくて濃密な世界にも異質なものが混じっていて、必ずその世界が綻ぶ瞬間があることは意識していました。けれども、閉じられていると同時に開かれている場所、異質な要素に対して決して閉じられていない小さな場所を書くようになったのは、フランスに行ったことが大きいと思います。『にぎやかな湾に背負われた船』はクロードと出会ったあとに書いていますから。