修士論文 2002 年度

日本語教師という自己の可変性

ヴェトナム・ヴェテランズ・メモリアルにおけるアメリカ合衆国の戦争の記憶

消費者行動とコミュニケーション効果―広告効果とパーソナルコミュニケーションの視点から―

日本人日本語教師と日本語学習者の関係性

済州島系一世女性の生活誌―巫俗信仰と祈りを通して

阮籍の思想について

『宝塚歌劇の社会史』

「理解における「追体験」の可能性について―精神史的人間観の構築のための試論―」

男性(おとこ)服と日本社会―1980年代から現代までのスーツを中心とした男性の装いに関するー考察―

いま,私の立っている場所

生殖医療の文化的背景の考察―看護師へのインタビュー調査を中心に―

「国際理解」

生きることへの欲望および思考のあり方に関する可能性について

聞き書き―歴史の中の日本語教育 関東州における日本語教育から

「現代文明における社会規範のダイナミズム―アンソニー・ギデンズの構造化理論の理解を通じて」

「私探し」と「キャラクター文化」

ナショナリティを再考する『日本事情』教育―その理論と実践―

グァテマラ・マヤ先住民族のサブシステンスのために―その記憶と世界観の分有または私考―

「ナシ族/トンバ文化」の構成と循環―聖地の構成と変遷

<アウシュヴィッツ>の証言と解釈学的存在論―哲学的解釈学の限界および<死者>との新たな関係性をめぐる試論―

言葉による人間関係の破綻―柳美里『石に泳ぐ魚』が一人の女性に与えた傷み―

「ひきこもり」をめぐる言説編成―強化される言説の一元化―

障害重い子と理学療法士とのコミュニケーション―理学療法士との対話を通して―

「戦後民主主義」とは何だったのか

『閉じられた季節の囲いの中で―少女マンガにおける内面表現の到達点』

イメージになる身体、開かれる皮膚