女性について
今村 『精神0』(2020)で円環が閉じたような気がしていて、そうすると、これは、想田和弘監督映画のなかの女性というのがかなり浮き彫りになってくるなって思うんですよ。
『Peace』のなかで、寿夫さんと廣子さんは確かに車の両輪なんだけれども、でも美しさという意味では、お父様のほうが断然美しい。お母様はまだ花を全輪に咲かせてはいないような気がしてしまう。(廣子さんがケアをしている)橋本(至郎)さんとの会話ってずれているじゃないですか。廣子さん、家事をしながら応答しているから、「私じゃったら行っているじゃろか」っておっしゃったりとか、召集令状なんだから行くに決まってんだろって(笑)、橋本さん、ちょっとムッとしたりとか。でも、映画の魔法がかかって美しい時間が流れていくんだけれども、でももし映画の詐術がないとすると、やっぱりお父様のほうが花が咲いている気がしてしまうんですね。
山本先生もそうじゃないですか。「山本先生、格好よかったですか?」って監督が問いかけると、「こんなに勉強できんでどうするんじゃろかと思った」って芳子さんおっしゃっていて[図-5]。芳子さんのほうが勉強ができたのに、でもお医者さんになるのは山本先生で。それこそ(『選挙』、『選挙2』の)山さんとさゆりさんとの関係もそうだし、それらをずっとつなげていくと、すごく面白いというか、歴史的・社会的なことが個の関係から見えてくると思うんですよね。
想田 なるほど。個別的な事情とかいろいろあるから一般論は難しいんですけど。僕はその都度その都度観察をして、自分が見たように描かしてもらうっていうことをしているわけなんですけど、全体的に通底しているのはやっぱり男尊女卑の構図っていうのが社会にものすごく根強くあって、そのなかでしか人間は生きられないというか、そういう、その型から完全に自由な人間はいないっていうような感じはしますね。
たとえば山さんとさゆりさんで言えば、さゆりさんのほうがよっぽど稼ぎはあるし、いまも山さんが主夫をしてさゆりさんが大黒柱をやっているわけなんですけど、でも普通はその逆をみんながイメージする。で、そのイメージに選対(選挙対策委員会)の人たちは当てはめようとする。そこで摩擦が起きるわけですよね。
同じように、たとえば芳子さんの場合は、芳子さんもやっぱりお医者さんになりたかったみたいなんですね。ただ、おうちがちょうど経済的に傾いてしまって、お父さんがたしか破産か何かをされたんですよ。それで諦めて、編み物教室を開かれるんですね。それは大成功したらしいんですが、医師の道は諦めたっていうそういう経緯があるんですが、そのときにもし芳子さんが男性だったら、もしかしたら違う選択を取られたんじゃないかなっていう気が僕はするんですよね。まわりも「おまえは優秀なんだから何としてでも医者を目指せ」とか、あるいは「金ぐらい出す」とか親戚が言ってきたりとかですね。男だったらそういう扱われ方をしたんじゃないかなっていう気がするんです。もちろんそれは仮定の話ですけれども、でもその結果、成績がそれほどよくなかった(山本)昌知さんのほうがお医者さんになって、芳子さんはサポート的な役に回るみたいな構図ができているんだと思うんですよね。
ただ、寿夫さんと廣子さんの場合はちょっと違って、寿夫さんの場合はキャリアがめちゃくちゃ長いんですよ。補足すると、寿夫さんが新任教師として赴任したのが牛窓中学校なんです。体育教員として新任で来て、廣子さんはそこの生徒だったんですよ。
今村 えー。
柏木 ああ、ああ、そうそうそう。父が最初牛窓に体育教員で来たときは、母がその生徒で、女生徒の間で「キャー」みたいに言われているのがうちの父で。『Peace』のころはかなりのもう、ステテコのじじいですけれども。
今村 だから俳優だったのかな、と。
柏木 当時は和製アラン・ドロンとか言われていたらしい。
想田 当時は筋肉隆々で。実はいまもここに元教え子っていう人がいっぱいいるんですよ。
柏木 器械体操を大学でやったりしていたので、すっごい筋肉隆々で。で、もうほんとに格好いい先生が来たってうわさになっていたらしいんですよ。
今村 和製アラン・ドロンはすごい(笑)。
柏木 そう。それでなぜうちの母がゲット? っていう話なんですけど、いっぱい生徒がいるなかで、母が卒業後に、家庭教師をしてもらったみたいで、うちの父に。それで付き合いが始まって、そんなことで結婚したみたいなんですけれども。
想田 当時の牛窓中学校はすごく荒れた学校らしくて、暴力団と関係するような子どもとかも結構いたらしいんです。それで、前任者とかはもう、「こうやってやるんじゃっ」って、相当、そういう子をしかるときに、海に放り投げたりとか(笑)、そういうようなことをしていたらしいんですよ。で、お父さんが着任したときにも、いわゆる「悪いやつら」っていうのがいて、その子たちよりもお父さんは喧嘩が強かったから、すごい尊敬されて、「先生、酒飲もうよ」って、お父さんの下宿のところにお酒を持ってきて。中学生がですよ。
今村 えー。
柏木 悪い子たちが、不良たちが集まって。
今村 だんだん見えてきた。
想田 不良たちが集まって、酒を飲んで、みたいなことをやっていたらしいんです。ただお父さんは、要するにそうやって子どもたちを力で抑えるっていうことに疑問を感じたらしくて、教員を辞めようかと思われた。そのときに校長先生か誰かが、「辞めるとか言わないで、養護学校に行ってみんか」って言われたんです。「そのほうが合っているかもしれん」というふうに言われたらしくって、それで行ってみたら、すごく合っていたみたいなんです。
今村 ああ、それで。なるほど。
想田 だからかなりキャリアが長くて。お母さんのほうは、一般の企業にずっと務めておられたんですよ。福祉の関係に入ったのが結構最近なんで。最近っていっても三十年ぐらい前に入られていて、だからキャリアの長さでいうと、やっぱり寿夫さんのほうが長いんです、ずっと。だからお母さんが、「柏木寿夫はさすがじゃ」っていうのは、先輩としてやっぱり熟練度が違うっていう意味で言っているんですね。
今村 でも、でも、資質も違うという思いも。
柏木 ああ、なるほど。
今村 何か寿夫さんだけじゃ回らないというか。だって転任したら学校でたくさん飼っていた猫放しちゃうわけでしょ(笑)。放す。放すって、えっ? そんな無責任な、それでいいんですか? という、いや、廣子さんにはできないと思うんですよ。性格の問題というか、キャリアだけではない。放す? みたいな。
柏木 そうですね。
今村 責任なんて取れない。『人薬』のなかでも語られていたように、最初はものすごく苦しんで、葛藤する経験があって、でもたとえば『精神』の撮影から公開までで、登場する患者さん三人お亡くなりになられ、そのうちお二人自死されているわけじゃないですか。
想田 はい。
今村 ということを一々考えていたら医者なんかできないわけじゃないですか。
想田 はい。
今村 だから考えなくなってくる。「えっ!?」って思うようなことってどうしてもあって、で、転任したら猫は放さなきゃいけないわけじゃないですか。で、「こらーる岡山」(山本医師が創設した患者と医者が共に創造する診療所)をつくったけれど、やっぱり放さなきゃいけない(山本先生が医師を辞めれば閉じなければいけない)わけじゃないですか。責任なんかもてないんだけれども、だけれども彼らの美しさは揺るぎない。もう長年のキャリアのなかでそういうふうになってきたというのがあって。でもおそらく廣子さんからすると、寿夫さんが無責任に、猫の飼い方もそうだし、感じるところがどうしてもあると思うんですよ。で、やっぱりお父様といえば、大輪の花だと思うんですね。
柏木 ちょっ、ちょ、そうなんですか(笑)。
今村 ちゃんと咲かせている。『人薬』のなかで、病気になられちゃったって、規与子さん、おっしゃっていたじゃない。想田さんを立てなきゃいけないというので、自分の花が枯れちゃったって。それでいうと、お父様、わーって咲いていて、お母様のほうが、やっぱり全部わーっと開いているかといったら、そうではないと思うんですよ。
柏木 なるほど。母は本当に面白い人で、若いころデザイナーになりたかったり、ものすごくクリエイティヴな人なんですよ。その道で絶対いける、みたいに思っていたみたいなんですが、結婚してやっぱり踏みつけられたというか、足かせになった、みたいなことを言っていました。もっと面白い人間になれたはずなんだけども、みたいなことを。実は、私も自分にそれを重ねたりすることありますね。
今村 実際にお会いしたことはないから映像だけしか見てなくて、ここで開花してるかどうかって視覚だけから判断すると、うーん、五分咲きかなと思っちゃうんですよね。
柏木 そうですねえ、人のために猛烈にやってしまうんで、うちの母の家系はみんな。でも『Peace』の撮影後、状況は色々変わって、母は自分の花を大輪に咲かせているなと私は感じています。あと、父が大輪の花を咲かせることができたとしたら、それは母の料理のお陰も大きいんじゃないかなあ。父は若いころから歯がないんです。腹話術にたけているので気づかれないことが多いんですけど(笑)。その父が元気いっぱい精力的に生きてこれたのは、今日までの歯のない人用に工夫を凝らした母の超精密な料理のお陰じゃないかな。
で、父の話ですが、そういう何かばーんと咲かせて、もう無責任だっていうふうに思われるところ、無責任かどうかっていうことですけれども、ほんとに経験をずんずん、たとえば、母のほうがやっぱりきめ細かく、それ最後までケアしなきゃいけないじゃないかって、絶対に思っているんですよ。で、父は、もうこれは仕方がないって、ぱっと手放すんですよね。
今村 放す。
柏木 もうほんとに放す。やっぱり人のあいだの修羅場を何回も超えてきていると思いますね。それはあんまり言わないけど、聞くと、たとえば学校でこれこれで誰々が死んでしまった、とか。生徒が死んだときに、両親との話し合いには自分が出向くとか、責任を取りに出ていくとか、それはものすごい修羅場だと思うんですよ。そういうのを何回も超えてきていると思うんです。山本先生とかはもうそんなことばっかりだと思うんですね。だからもうほんとにポンといいかげんになれると思うんですよ。
今村 ああ、それ聞きたかった。
柏木 うちの父も多分そういうことがいっぱいあったと思うんですね。私、すごくびっくりしたことがあるんです。ニューヨークから久しぶりに日本に帰ってきたとき、父がものすごく大きい岡山県の養護学校の校長をやっていて、それを最後に定年退職するというときだったんですけれども、そのときに随分いいかげんだなと思ったのは、ものすごい大きい校長室という部屋に父がいて、そこに、教頭が九人ぐらい書類持ってきているんですよ。「これについてどういたしましょうか」、「これについてはどういたしましょうか」って。「ああ、じゃあそんな感じで」って、ポーンと判子を。「はい、そんな感じで」ポーンとかって。随分無責任だなと思ったことがあって。
父が教頭だったときは、私は教育実習で父の学校に行って、柏木という名前に、先生方が「あ、柏木さん」って。「うちの学校にも柏木って教頭が」って。「あ、父です」って言ったら、「えー」って皆さんが驚かれて、私が踊りをしていることに対して、「お父様も踊りお上手ですもんね」って、いろんな先生に言われて、「くそ、学校でも踊っているのか」って。
想田 (笑)。
柏木 それはまあちょっと全然関係ない話で。全然関係ない話でごめんなさいね。
今村 面白い。
柏木 で、父は定年退職後、総合社会福祉施設(旭川荘)に勤め始めたんですよ。私は、ニューヨークから帰ってくると、父の仕事場を見るのが好きでよくついていってたんです、昔は。そのときも父が職場で担当している子どもたちのところへ遊びにいったら、その子たちはみんな手足がなくて、自分では動けずに横たわっているんです、床に。ダーッと広い部屋いっぱいに横たえられていて、頭だけが動くみたいな状態で。私はそういう光景をあまり見たことなく、しかも大勢のかた。そしたら父がその部屋の向こうから「おお、規与子ちゃん」って言いながら、その子たちをひょいひょい、ひょいひょい、ひょいひょいっていうふうに、こう飛び越えて、「おお、規与子ちゃん」、ぴょんぴょん、ぴょんぴょん、ぴょんぴょんって飛び越えて来たときに、私、「ひい」とか思って。もう本当になんか、「なんという無神経」みたいに最初思ったんですけど、ああ、もう父にとっては普通、彼らも普通、変わりないんだって思って。私が特別視していたんですよね。でも、父はもう「おっ、おっ、おっ」みたいな感じで、「お、よう、何々ちゃん、何々ちゃん」って飛び越えて声かけながら、ぴょんぴょん、「おお」、ちょいちょい、ぽんぽんぽん、みたいにちょこっと頭に触れたりしながらこっちに飛んできて。すごいなと思って。そういうなかで、もう誰を見る目も全然変わらなくなるんだなと思ったんですね[図-6]。
今村 今日来てよかった。ありがとうございます。『Peace』のいくつものショットが思い浮かびます。「養護学校の建設に地元の人の反対がなかったんですか」という監督の問いかけに、「地元の人の口から言わなきゃ」とか、(「誰が俺みたいなかたわに嫁に来てくれるねん」っておっしゃる)植月さんに「嫁は難しいわな、若いころからそう思っとったん?」ってしみじみとおっしゃったり、車椅子のかたと同じ目線にしゃがまれたり。愛ってそれこそ同じ目線じゃなきゃ駄目じゃないですか。ちょっとでも上だったり下だったりすると成り立たない。同じ目線というのが、それができちゃっている、それを撮っちゃっているところがもう奇跡だと思いますね。規与子さんからそれを聞けて、すごくうれしい。
想田 農家の人たちは悪天候で作物がとれないとか、そういうことに対してあきらめがいいって聞いたことがあります。お父さんも山本先生も、そういうのと同じじゃないかなと思います。やっぱり自然のすることなんで。人間も自然の一部で、それでやっぱり人間も病んだりとか、死んだりとか、老いたりとか、いろいろするわけですよ。下手すると僕ら人間は自然の一部じゃないって思い上がっていて、どんな病気も全部コントロールすべきだ、なんとか治療を見つけるべきだとか、何でもできるはずだっていうふうに思い込んでいる。社会はもう全部そうやって思い込んでいるじゃないですか。だけど、本当はそんなことなくて、やっぱり人間っていうのは自然の一部で、やれることっていうのは、やっぱり本当は限られているんですよね。多分、山本先生とか、寿夫さんとか、この世とあの世の瀬戸際みたいなところでずっと活動されている人にとっては、死とか別れとか、そういうものっていうのが、そんなに珍しいことじゃないというか、もうそれはやっぱり自然の一部っていうふうに実際に多分感じておられると思うし、感じなかったらそんな仕事できないと思うんですよね。
今村 それは映画からもすごく感じるところで、この世だけで生きているわけじゃないという。その美しさというのはこの世の美しさを超えちゃっているところがありますよね。
(猫の鳴き声)
今村 猫ちゃんどうしよう。
(猫の鳴き声)
想田 大丈夫です。
柏木 大丈夫かな?
(猫の鳴き声)
柏木 大丈夫ね。
(猫の鳴き声)
今村 中断します?
(猫の鳴き声)
想田 大丈夫です。
(猫の鳴き声)
想田 チャタ君、そこにいらっしゃい。
(猫の鳴き声)
柏木 大丈夫、大丈夫。
(猫の鳴き声)
中編へ続く