松川事件と社会化

蜂飼 『日本文学源流史』の「うしろがき」について、伺いたいと思います。松川事件と広津和郎のことに触れられていますね。松川事件は、1949年8月17日未明に福島県の東北本線、松川駅近くで起きた列車転覆事件ですが、東芝松川工場労働組合と国鉄労働組合構成員による犯行とされました。1950年12月の福島地裁による一審では、被告20人全員が有罪。そのうち5人が死刑という判決でした。
 松川事件について、作家の広津和郎が被告たちの無罪を訴えて動いたことについて、高校生だった藤井さんは深い感銘を受け、影響を受けたと書かれています。このことをめぐって、いま、お考えになることはありますか?

藤井 中学生や高校生ぐらいって、だんだん社会化してゆくわけですね。世の中を知ろうとして。私は高校3年生が安保闘争のころ。新聞部に入っていたから、自然とそういうことも視野に入ってくるわけです。

蜂飼 松川事件が最終的に解決したのは63年です。61年に仙台高裁での差し戻し審で被告全員に無罪判決が出て。戦後最大といっていい冤罪事件となりました。

藤井 はい。最高裁での係争となってから、リアルタイムの関心事となってきたのです。つまり、広津和郎や宇野浩二は、どういう作家なのか、社会派の作家というわけではなかったにもかかわらず、なぜ松川事件に取り組むのか。仙台高等裁判所で差し戻し審理が始まる。無罪なのか、どうなるのかと、みんな関心を持っていて、広津が一生懸命、訴えて回るわけですよ。講演活動をしてね。作家というのは書斎にこもっているのか、と思っているのが、そうではなくて。

蜂飼 高校生だった藤井さんが講演を聴きに行かれたというのは、杉並でのことですか? 

藤井 はい、そうです。高校の近くでした。杉並区に住んでいたときです。なんとか聴きたいと思って、チャンスを作って申し込んで。かなり大きな会場で、人がいっぱい集まっていてね。容疑者たちは無罪なのではないかと思って。前の方で聴いたから、目の前に広津さんが。

蜂飼 唾が飛んできますね(笑)

藤井 そうです、唾も汗も飛んでくる(笑)。広津さん、なんというか弁舌爽やかの逆でね。そういう人が一生懸命訴えているということが、伝わってくる。広津さん、『中央公論』に「真実は訴える」を連載していました。それは容疑者一人ひとりを調べ上げたもので、この人は犯人じゃないとか、説得的な論になっていてね。普通、作家というと書斎にいて、そういうことをしないと思っていたのが、行動する作家を目の当たりにして、いや、すごいなと。これも私の原点ですね。
 私の中学時代に遡りますが、六法全書を持ち歩いている友人がいて、かれがひとこと、言ったんですよ。かれらは真犯人じゃないかもしれない、だけど、真犯人じゃないことを証明しない限りは、判決は維持されるから死刑にされるだろうってね。こちらは、無罪なら解放されるべきだと、単純に思うわけじゃないですか。だけど、法律を勉強しているその友人は、証明しなきゃいけないんだ、と。それはショックだったですね。普通なら、無罪なら無罪、と考えるけど、法の世界はそうじゃない。違う常識で働いているのだなと。だから、広津さんが講演して回るとか、反対運動、デモとか、支援活動とかね。そういうことが大切なんだと思いました。
 江藤淳は『作家は行動する』(講談社、1959)という評論を書いて、大江健三郎さんを支持する。そのころ私は高校生から大学生になり、社会化されていった、そういう時代です。そして70年代からポストモダンの時代へとなだれこんでゆく。

蜂飼 その時代をご覧になっていたということですね。

藤井 70年代の運動は挫折するわけでしょう。72年、あさま山荘事件。あれは説明できない。真相を知ったときは、まさか、と思ったけど。過激派の行く末がリンチ殺人になるとは。ショックでした。社会参加することの負い目っていうか……。

蜂飼 そういう感じでしたか? 負い目という。

藤井 ええ、第二次安保闘争。だから、その後みんながリタイアしたり、大学中退したりして。土俗ブームが起きると、そんな中で、私は地方の神楽を見て回ったりして。

蜂飼 どういうことでしょうか? それはある種の逃避ですか? 地方へ行って残っているものに触れるというと、ある意味、伝統にも繫がる観点と感じられます。どういう感じでしょうか?

藤井 本当にもう、説明できない。72年沖縄返還にしても、安保と直結しているのですが、返還という言葉が使われたけど、一方で、返還に反対する人たちもいて、沖縄の詩の書き手たちも返還に反対するんですよ。よくわからなかったですよ、なんで反対なのか。

蜂飼 別の王国だったからですか?

藤井 そのころ、こちらにはよく見えていなかったんです。沖縄返還はつまり、日米安保体制を完成させるためだってことが。

蜂飼 犠牲が強化されると?

藤井 うん、ベトナム戦争、文化大革命、朝鮮半島の問題、アジア全体が激動期にある。そっちのほうで考えていて、沖縄返還となんとなく切り離していて。だけど、沖縄返還ということは、沖縄の人たちからみると、基地化されるってことだから。だから返還に反対するわけですよ。それは後になって気づいて。

蜂飼 そのころには、南島という観点にすでに踏み込まれていたわけですよね?

藤井 はい、私はね。それは私の内なる土俗ブームかもしれないですね。南島歌謡へとにじり寄っていった。沖縄は最初、船で行きましたからね。まだ、かなり苦労しないと行かれないところだった。吉本さんの講演を2回聴いて、沖縄へ行かなきゃと。そんな意味でも吉本さんには感謝していますけれど。沖縄の問題は、日米安全保障とか、辺野古とか、いまも続いているわけですからね。

後編へ続く