丸山眞男、吉本隆明

蜂飼 第十九章は、丸山眞男に関して書かれた章です。「歴史意識の「古層」―いまを鏡像とする」というタイトルです。1972年刊行の『歴史思想集』(『日本の思想』6、筑摩書房)の巻頭に置かれた「解説」として書かれた論文「歴史意識の「古層」」についてです。これは「解説」と呼んでよいでしょうか? 

藤井 「解説」だけど、何十ページもあるから。渾身の力で書いていますよね。

蜂飼 後に『忠誠と反逆』(筑摩書房、1992)に収められています。その際には訂正も施されています。『歴史思想集』は、「日本の歴史観の歴史」についての巻ですね。『日本文学源流史』の「まえがき」の中で、この本において丸山を大きく論じることは、専門を異にすることもあって、「唐突さの印象をぬぐえないかもしれない」と藤井さんは書かれています。「なる、なりゆく」をめぐって、中世の文献から遡り古代へと視点を向ける。それが日本社会に通底しているという、よく知られている論文ですね。

藤井 はい、そうです。

蜂飼 実際には、丸山眞男は80年代になって「なる、なりゆく」という古層についての考え方を修正していったといわれていると思います。このように、丸山眞男に注目されたのは、藤井さんの学生時代に活躍されていた人だからという視点があったのでしょうか? 

藤井 そのころは偉い政治思想史学者だっていうのはわかるけど、入れ込んでいたというのとはちょっと違うんです。しかし、丸山の『日本政治思想史研究』(東京大学出版会、1952)は、熟読した本でもあります。じつは私、『歴史思想集』に少し関わっていて、そういう個人的な思いもあります。

蜂飼 月報の「編集室だより」に、藤井さんのお名前がありますね。

藤井 はい、名前を出してもらった。それからもっと後の時代、80年代、90年代になって、ポストモダンの問題をやらないといけないと思った。丸山さんが、どこまでポストモダンの考え方に自分の考え方を塗り替えてゆくのか、そのあたりを考えたいと思ったのです。でも、本当に当たっているかどうか。丸山さんを誤解しているかもしれない。

蜂飼 藤井さんは、70年から80年をポストモダンと設定されていますね。

藤井 はい。70年代がポストモダン前期、80年代をポストモダン後期、と考えています。その時代に対して、批判もあるけど親近感もある。

蜂飼 はい。藤井さんの壮年期に当たる時期でもあって「単に空白だったとはいえない」と書かれています。

藤井 70年代は、学生運動の挫折から入ってきた人たちの時代。丸山眞男とか山口昌男とか、もう1つ前の時代を引きずっている。80年代になると、そういうことと関係のない、新しい世代の人たちが論客として参加してきて、ポストモダンの後期を形成するわけですよね。ポストモダンの終わりは、まさに冷戦の終わりで、そんな中、日本は置いていかれる。いまだに冷戦の遺物を残している。東アジアには冷戦の残存物がある。

蜂飼 たとえば米軍基地の問題ですね。沖縄のことも。

藤井 そうです。沖縄の問題もそのままになっている。朝鮮半島の分断も。

蜂飼 『日本文学源流史』でも沖縄をめぐってさまざまに論じられています。70年に吉本隆明の「南島論」の講演を聴きに行ったことにも触れられていますね。それは藤井さんにとって、南島への糸口だったと。

藤井 はい、そうです。「南島」への入り口、南島歌謡への視野を作ってくださったことに対して、吉本さんに非常に感謝しています。だけど私、吉本さんの最初の本、『言語にとって美とはなにか』には、どうしても同意できないんですよ。

蜂飼 それはどのような点でしょうか? 

藤井 はい。時枝誠記の詞と辞との問題に関わることで。時枝の、辞が詞を下支えする、という考え方に関わる点ですね。名詞や動詞が詞、つまり意味語。そして助動詞、助詞などが辞、つまり機能語です。

蜂飼 はい。「表出文法が下支えする」と。

藤井 日本語は、意味語と機能語とから出来ている。だから日本語は、漢字かな交じりで書く。それに対して、吉本さんの考えでは、詞と辞とが連続する、というんです。

蜂飼 詞と辞とを分けない、ということですか? 

藤井 分けないというか、吉本さんの考えでは、並ぶんです、ずらっと。

蜂飼 藤井さんがよく使われている「下支え」という考え方が、そこにはない、ということでしょうか? 時枝を読んでいなかったということですか? 

藤井 吉本さんは、時枝を読んでいたとは思うけれど、そこは大いなる誤解だろうと思うんです。連続する、という考え方の中に時枝をはめこもうとしているんですね。そのころ、世の中の多くは吉本信者だから、批判できる人がいなくて。でも、私は「いや、違うんだ」と。吉本さんの考える、意味的な世界から自己の表出の世界までがずらっと並ぶっていうのは。
 吉本さんは、「美」を問題にしているんですね。時枝とは関係ないんです。時枝は「言語」ですから。でも、なかなか言えないわけですよ、周りはみんな吉本ファンで固められているわけですから。時枝はいわば撲滅運動に遭って、トの字を出しても危ない状況でね。

蜂飼 そうだったのですか。

藤井 50年代というのは、ちょっと説明するのが難しいけれど、ソビエト言語学の時代だったんです。

蜂飼 チョムスキーですか? 

藤井 いや、チョムスキーはアメリカ言語学です。そして、時枝に近いと言えるんです、おおまかに言うとね。日本では、チョムスキーが読まれることによって時枝の代わりを果たしたんじゃないかと思いますね。私はそう思うけど。

蜂飼 それは、時枝を見直そうという意味になるんでしょうか? 

藤井 私は平気で言うけど、チョムスキーと時枝とが似ているって普通は言われないですね。日本では、ソビエト言語学が強くて、時枝は排除の対象となったのです。吉本は、一種の言語美学みたいなところがあるから、ソビエト言語学とあまり関係なくて、時枝をスルーできたのでしょう。

蜂飼 丸山眞男の発言で思い出すのですが、日本思想史の中で文学史が大事だと考えるのは、美の問題があるからだ、というのです(『自由について―七つの問答』編集グループ〈SURE〉、2005)。鶴見俊輔との対話に出てくる発言として読みました。賀茂真淵は万葉支持、それに対して本居宣長は、古今、とくに新古今。これは時代としてはすでに漢心と切り離せない時代で、古道論と歌道論とはいったいどういう関係に立つのか、というのが宣長を考えるときの大きな論点だと。そして、小林秀雄の『本居宣長』はこの問題に触れていないと、丸山は批判します。「美的なものが日本では宗教的なものの代用」をすると。そこには当然、危険性もあり、三島由紀夫に関して「政治の審美化」という言葉で触れられています。そこから天皇制と結びつく、と。
 さらに、美の問題については和辻哲郎を取り上げています。しだいに“美”を“道徳”に移したことからまずいことになった、と。『古寺巡礼』や『偶像再興』などを書いた和辻が、『倫理学』を書く。日本思想の基準を、倫理や道徳に求めるとおかしくなる、という見方です。