クレオールからマダガスカルへ

 フランス語圏の広がりということでいうと、カリブ地域についてもいろいろ書いておられます。陣野さんがカリブ地域の文学や詩、あるいは音楽に最初に触れたのはいつ頃なんですか。

陣野 エドゥアール・グリッサンです。今福龍太さんが90年代に『クレオール主義』を書いて、西谷修さんがクレオールの文学者たちの翻訳をやり始めたのが90年代の半ば以降だと思うんだけど、その流れの中で、今は小野正嗣さんの訳で出ている『多様なるものの詩学序説』をフランス語で読んで、すごいなと思ったのが最初だったように思います。授業でも自分が読んだばかりのものをプリントして配ったりしてね。当時まだ学生だった中村隆之さんがその授業に出てくれていたりしんたですよ。

 授業をやる側としてフランス語圏カリブと出会ったわけですね。

陣野 はい。話が少し戻るんだけど、実は桐山論は出版にあたって削った部分が400枚くらいある。中上健次につなげて書いた部分で、要するに90年代の日本は先端的な作家たちがみんな南島、南の島へ向かっていた時期があるでしょう。中上の晩年が完全にそうですけど、そういうこととつなげて桐山について書いていたんです。

 それは実感としてよくわかります。『テロルの伝説』を読みながら、漠然とこの延長上に中上が出てくるだろうと思ってました。実際にそういう構想はあったわけですね。

陣野 編集者にそれは別の話だから削ろうと言われて、納得したので削りました。ただ書いている時は今福さんがすごく参考になりました。今福さんは沖縄からフィリピンにつなげて文学を考えたりするでしょう。ああいうのをすごく参考にしていました。

 群島論的なものですね。

陣野 それがもっと先まで行くとマダガスカルへ行く。アフリカ経由じゃなく。

 マダガスカルのことは、この紀要の18号に寄稿された「素描―マダガスカル、ポーラン、ラベマナンジャラ」で書かれていますよね。マダガスカルへ行く日本の知識人というのはなかなかいなかったと思うのですが、そもそもどういうご関心だったんですか。

陣野 ジャン=ジョセフ・ラベアリヴェルという20世紀初頭に生まれたマダガスカルの詩人がいるんです。30歳過ぎで自殺するんだけど、マダガスカルにとって国民的な詩人です。彼の残した小説は1980年代になってようやく刊行されるんだけど、フランス語を独自に学習した人が書いているフランス語で、めちゃくちゃ難しい。戯曲や詩は、フランス語の能力はあまり問われないんだけど、マダガスカル人の小説家が80年代まではほとんどいないっていうのはその辺が作用していると推察します。最近は面白い作家がいっぱいいるけど、その草分け的な存在がジャン=ジョセフ・ラベアリヴェルで、生年が山之口貘と同じなんですよ。山之口貘が考えていた事柄をトレースして考えると結構わかったりするようなところがある。だから、沖縄の話を一方に置きながら、マダガスカルの話を重ね合わせて読んでみたいという構想はあるんだけど、具体的にはまだ何もやってないです。

 ラベアリヴェルの日本語訳はあるんでしょうか。

陣野 ないですね。ただ、詩は英訳が出ています。いい詩なんですよ。20世紀初頭にすごい才能の持ち主がいきなり現れたんだなと思う。19世紀の終わりにフランス人が相当ひどいことをしてマダガスカルを占領した時に、貴族や上流階級の人たちはみんな生活に困るような状態になるんだけど、その末裔ですよね。能力はすごく高いから、フランス語も自分で身につけようとしている。印刷所の校閲の仕事をしながら。彼の詩には、ヴァレリーの推薦文もあるんです。さんざんフランス文学の本流から遠ざかってきて、巡り巡ってまたヴァレリーに出会うのか、と苦笑しました。

後編へ続く