小説のつくられ方

 せっかくの機会なので、小説の実作者ならでは見えてくる舞台裏も教えて下さい。

陣野 文芸の編集者になりたいという学生に言いたいのは、要するに編集者は小説家から原稿を預かるわけだけど、その時の原稿の完成度というのはたぶん6割くらいなんだということです。そして残りの4割を話し合いの中でつくっていく。だから文芸編集者はいろんな小説を相当読み込んでいないとやっていけないので、学生には小説をとにかくいっぱい読みなさいと言いたいです。文芸編集者の凄まじさについては実際に授業でも言うんですけど、この表現はどうしてこうなって、副詞はどうしてこの位置なのかといったことで原稿が真っ赤になるんですよ。『泥海』は完成まで2年くらいかかったんですけど、最初に送った原稿では日本人も出てこないんですよ。そこから日本人の登場人物をどうやってつくるかとか、すごい激論をやってああいう作品になったんです。文芸の編集者になりたいという学生は、そういうことをやる仕事なんだということを知っておいた方がいいと思うし、そのために時間もない中で学生が身につけていった方がいい知識というのもやっぱりあると思います。

 最初の段階では日本人は出てこなかったんですか。

陣野 そうです。僕も最初はなぜ日本人を出す必要があるのかと散々言ったし、向こうもいろいろ話してくれて、結果出てくることになったんです。それから、「この副詞はなぜこの位置にあるのか」みたいなことを他の作家に対してもこれだけやるのかと聞いたら、やりますと言っていました。すごい攻めてきますね。

 愛着もって書いているものにそんなふうに言われるとむっとしそうですが、納得するものですか。

陣野 するところもあるし、しないところももちろんいっぱいあるから、時間をかけて投げ返す。

 それはやはり小説ならではの通過儀礼というかプロセスなんでしょうか。

陣野 少なくとも僕は他のジャンルでそういうことをやったことは全くなかったから、一体これは何だろうと思いました。文芸編集の歴史や凄みなのかもしれません。

 「この作品は一人で書いたものではない」みたいなことがよく後書きにあったりしますけど、あれは本当なんですね。

陣野 小説創作論の授業でも言うんだけど、新人賞の作品だってあれは投稿したままのはずがないんですよ。

 そうなんですか。

陣野 受賞してから発表までの間に1カ月ぐらいあるから、徹底的に直していると思いますよ。その間にどういう小説を目指すかみたいなこともかなり話をすると思う。その期間が短いと、盗作騒ぎみたいなことがあった時に対応できない。だから、選考会から発表までの間が長い方がやっぱり信頼できると思います。

 なるほど。

陣野 だから、授業では文芸の編集者から言われがちなことまで含めて喋っているんですよ。

 たとえば?

陣野 まず構成を変えろと編集者に言われるから、その時に自分はどうするかを事前に考えなさいと。ここはこういうふうに構成を変えた方がいいと言われて、納得すればいいけど、納得しない場合もあるわけです。その時にどうするかを考える授業があった方がいいと思うんですよね。特に文芸・思想専修だと何かを書きたいと思っている人は結構いるから。

 多いですよね。『重版出来!』という漫画でも編集者とずっとやりとりしていく様子が描かれていましたけど、ああいうことなんでしょうか。

陣野 マンガの編集はまた独特の世界で、あれはネームなんですよね。ストーリーはネームで動かしていくから、そのネームがつまらないとその時点でもう終わりなんです。でもそれってマンガ家というより物語作家じゃないですか。それに絵がついてくるわけだから、いったいどういう世界なんだろうと思いますけどね。

 評論はまた別なんですね。

陣野 評論は、基本的に議論はないです。書きたいことを書いています。もちろんボツになることもあるけれど。

 やっぱり小説は特殊な世界なわけですね。詩なんかどうなんでしょうね。

陣野 わからないので、そこは蜂飼耳先生に聞いてください(笑)。