本記事は立教比較文明学会紀要『境界を越えて──比較文明学の現在 第23号』に収録された巻頭インタビューを再録するものです。前編、中編、後編の3パートに分けて掲載します。

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作者への関心と作品への関心

 そもそも1994年から2022年までに単行本だけで16冊、それから翻訳を4冊出されてますよね。つまり28年間で20冊、その間にCiNiiに載っているだけでも300くらいの論文、エッセイを書いて、もちろんそれと同時並行的に読んでいるわけですから、どういう時間の使い方をしておられるんでしょうか。参考までに教えてください。

陣野 この歳になってわかってきたんだけど、1日時間が自由になる日は午前中に読んだり書いたりして、2,000字ぐらい書けるんです。授業がある日はどこかに時間を見つけて1,000字ぐらい書く。だから、月に原稿用紙100枚ぐらい書けるんですね。雑誌に書いたり、書評を書いたりというのを入れてだいたい月産100枚くらいだから、その範囲だったら無理はしていない感じです。

 読むスピードも速いですよね。

陣野 そうかもしれないですね。

 先ほど、『じゃがたら』でも『渋さ知らズ』でも、あるいは『テロルの伝説』でも、いろんな方に話を聞きながら書くというお話をされていましたけど、読んで書くだけじゃなくて、聞いてもいるわけですよね。相手から話を聞くといってもそう簡単ではないと思いますが、具体的にどんなふうに進めるんですか。

陣野 連絡をとって話を聞くべき人のリストをつくるんですよね。『渋さ知らズ』の場合は不破大輔というバンドの中心人物がいて(彼自身は「ダンドリスト」と自称している)、彼に相談して連絡先を教えてもらうんだけど、連絡してみても先方は「俺はおまえのことなんか知らない」と言われたり、怒られたり、日本のジャズミュージシャンというのは大変だからもう近づくまいと思ったりしたものです。怒られたことで言えば、『ヒップホップ・ジャパン』で僕が歌詞の引用をちょっと間違えたところがあって、DEV LARGEというラッパーから呼び出されてすごく怒られたこともあります。許せないからちょっと来いと言われて、今はもうなくなった新宿の「滝沢」という喫茶室に呼ばれて、2時間も説教をくらいました。最初は僕も緊張して、向こうも僕のことを批判してきたんだけど、だんだんリズミカルになってきて、ラッパーは面と向かって批判する時もリズムあるんだなと思ったりしているうちに、だんだん気持ちよくなってきて、帰りはもうハグして別れたんですけど。そのDEV LARGEも50代前半で亡くなっちゃって、懐かしい出来事です。

 『フランス暴動―ラップ・フランセ』でも、直接本人と会って話すのを大事にしていると書かれていますよね。

陣野 文芸評論家として、書いている本人に対する興味みたいなものと、作品に対する興味みたいなものは分けて考えなきゃいけないところはあるとは思いますよ。『渋さ知らズ』の取材をしている時に、ピアニストの渋谷毅さんが「ある程度の了解事項があって、インタビューではその先を答えたい」ということを言っていたんです。作品の意図なんて受け取った人が考えればいいわけだから、作品の意図を聞くような奴とは話をしたくない、その作品の了解事項があって、その先で話をしたいんだということを言われて、納得したところがあった。
 文学研究の手法としては、もちろん死んでいれば会えないわけだし、本人に会うこととその作品を読解することとは当然分けて考えるべきなんだけど、僕の場合はそういうことがあったから、生きていれば聞きに行ってもいいじゃない、くらいの感じはあります。生きていて会えるんだったら、会って話を聞くのはひとつの方法としてあるとは思います。だから比較文明学専攻で指導した学生にも言ってきたんだけど、作品を取り巻く読解の道をつくるのならば、会って話を聞くのはいいんじゃないか、と。