『ザ・ブルーハーツ』と80年代論
林 『テロルの伝説』の2年後には小説『泥海』を出し、その2年後にはブルーハーツ論を、さらに2年後にはラップ・フランセ論を出しておられます。全く別々の領域をパラレルにやられているように見えますが、根底ではつながっているんですね。地上に出ているたくさんの呼吸根が、じつはたった1本のマングローブの木につながっているイメージというか。
陣野 「いろいろなことをやっているね」ということはよく言われるんですけど、そんなつもりもないんです。僕は自分が前に書いたことをあまり振り返ったりしなくて、その時に書いているものに集中して、1つ書いてみたらまた次があって、そうするとまた次があるという感じなんです。
林 『ザ・ブルーハーツ』には、原民喜やヴァージニア・ウルフや谷川俊太郎が出てきていて、音楽論だけでなく、詩論になっているところに陣野さんの特徴がよく出ているように感じました。その引き寄せ方、つなげかた、インスピレーションというのは書いていて自然に出てくるものなんでしょうか。
陣野 これはもともと、ザ・ブルーハーツのムック本をつくる予定で資料が集まっていた。それはいろいろ事情があってボツになったんだけど、資料はあるからそれを使って僕が勝手に書かせてもらうというスタンスで本を書くのはどうかという話になったんです。確か2ヶ月足らず、夏休みを使って4、50日で書き切ったんです。僕は同時代にそんなにザ・ブルーハーツを聴きこんだわけではないんだけど、80年代後半というのはもう耳に彼らの音楽がどんどん入ってきていた時代だったので、その時のことを思い出して書いていましたね。だから『ザ・ブルーハーツ』も80年代論と考えてもらえればと思います。
林 80年代論ということでいえば、桐山には1980年代への深い絶望があると陣野さんは書いておられますが、陣野さんご自身にとっての80年代って何でしたか。
陣野 同時代を生きていない、80年代を生きていないという感覚はあります。例えば村上春樹が、オウム真理教の事件が起こったのは彼がスタンフォードに3年間いた時期で、オウム事件を経験していないから帰ってきてずっとそのことを書き続けているという話がありますけど、大きく言えばそういうことに近いのかもしれません。僕は80年代の終わり頃、大学院生だったしお金もなくてひたすら勉強していたわけです。世の中は浮かれ騒いでいたけど、同じ時代を生きてないという感じは今でも持っています。ザ・ブルーハーツはすごく売れていたけど、彼らは時代に対してすごく冷めていたし、桐山さんは憎むべき時代として遠ざけていた。じゃがたらの江戸アケミは本当にこれからという時、90年に死んでいるので、彼らにとって80年代というのはインディーズの時代ですよね。そういう人たちへのシンパシーは結構あって、だからこそ本を書いてきたという感じがある。浮かれ騒いでる人たちとは違う言葉を探しているんだけど、それが見つからない。もちろんいい言葉もいっぱいあるんだけど。80年代というのはそういう時代ですよね。
林 陣野さんにとっての80年代は、憎むべき対象でもないし、かといって空白だったというわけでもない、と。
陣野 パラレルワールドに生きているという感覚はありました。自分は本当にこの世界に生きているのかな、みたいな。ザ・ブルーハーツは87年にメジャーデビューして、95年に解散するんだけど、92年ぐらいに実質的な活動は終わっているんです。87年から92年までの5年間というのは本当のバブルの頃ですよね。なんだかよくわからないくらい世の中が浮かれ騒いでいた時期で、ザ・ブルーハーツはそのど真ん中にいたように見えるかもしれないけど、実はそうではなくて、そこからこぼれていく人たちに向けて言葉を発していた感じがする、というのが詩の分析なんですけど。
林 バブルの底に存在していたけれど可視化されていなかった、もうひとつの80年代についての評論になっているわけですね。
陣野 ただ、この本は評判が悪い。ネットのレビューなんかでも「こんな本は要らない」みたいに書かれかたをしている。確かに最初から音楽の部分をカットして議論しているので、曲としてのトータリティを毀損しているわけですからね。そういう批判が来ることは想定できるとこの間亡くなったフランス語圏文学の研究者である立花英裕さんに言われました。この本を病床で読んでくださって、すごく批判されると思うけど自分は支持する、みたいなことをメールで書いてくださった。
林 立花さんはこういうの好きだろうなという気がします。カリブの小説を日本で最初に紹介したのは彼や彼の世代ですよね。カリブ圏の文学も低い目線から、地を這う根や腐植土の海から書かれているようなところがあるから。
中編へ続く