『テロルの伝説―桐山襲烈伝』をめぐって
陣野 桐山に話を戻すと、僕は雑誌なんかで80年代特集があると声をかけられることがあって、80年代論の論者みたいなところもある。実際、じゃがたらの活動期間も80年代だし、桐山さんが亡くなったのは92年で、もろに80年代にかぶっている人ですよね。だからもともと、80年代を総括するような形で桐山論を書きたかたったのだけれども、部数が予測しづらいと(笑)。そこをなんとか会議を通してもらって、桐山さんの奥さんから預かった資料を使って書いたんだけど、バブルの日本を快く思っていなかった人たち、それこそ目線が低い人たちが、苦労しながら言葉を発していく、その作品を取り扱いたいというテーマはありました。
林 ラップ・フランセ論と桐山論というと、普通は「フランスのサブカル批評」と「日本の文芸評論」という切り方をされてしまうので全く結びつきませんが、社会の主流から排除されたマージナルな部分という点ではつながるわけですね。
陣野 そうですね。日本の中で移民のことを論じるというのはまだちょっと難しかった。だから河出書房新社で出してもらった『じゃがたら』や『ザ・ブルーハーツ』、その間に桐山論もあって、トータルで80年代論になっている感じはあります。
少し前に、小説家の樺山三英さんが、安倍元首相の襲撃事件について書いたウェブの記事で桐山の話を思い出したと書いているんです。そこで、忘れられた作家だと思われていた桐山について『テロルの伝説』が潮目を変えたと書いてくれていて、僕の仕事としてはそれで十分かなと思いました。
林 桐山の作品が復刊されたのは、陣野さんの『テロルの伝説』が刊行された後ですよね。
陣野 この本が出た翌年の2017年に『パルチザン伝説』と『スターバト・マーテル』の2冊を河出が復刊して、作品社が2019年に『桐山襲全作品』を全2巻で出ました。
林 ずっと忘れられていた桐山襲の全集復刊のタイミングが『テロルの伝説』の直後だったのは、やはり偶然とは思えません。
陣野 「パルチザン伝説」が1983年に発表されて桐山さんが右翼の攻撃を受けて、結局単行本は作品社から出た。そこにはいろんなことがあったと思う。僕のほうでも調べたけど本には載せていないことも沢山あります。ただ、潮目を変えたという意味で僕の役割は果たせたと思っているんですね。だから僕が日本の近現代文学の領域でした仕事というのは、『戦争へ、文学へ―「その後」の戦争小説論』(2011年、集英社)とこの『テロルの伝説』の2冊くらいかなと思います。
林 『桐山襲全作品』の白井聡の解説では、桐山作品は徹頭徹尾政治的読解に落とし込まれています。桐山の「抒情性」を切って捨てた菅野昭正と同じスタンスなわけですが、陣野さんの桐山論はこうした政治的な読解からは距離をとっています。
陣野 さっきおっしゃってくださった匂いのような、作品論として中に入りたいという気持ちがあるんです。政治的な文脈というのはもちろんあるんだけど、その読み取りとは別に、作品そのものが持っている豊かさ、豊穣さみたいなものがはっきりとある。それが伝わればいいなと思いながら書きました。桐山が晩年に沖縄を舞台にして書いた小説もすごくいいと思っていて、そういう匂いみたいなものも残したかった。
僕は大した批評家じゃないけど、僕にいいところがあるとすれば作品の中に入れるところだとある編集者に言ってもらったことはあります。作品の中に入っていくことが読みを呼んでくるというのが他の人よりも少しマシな部分があるので、それでこれまでやってきたんだろうと思います。桐山さんの場合もそれを一番やりたかったという感じはあります。