本記事は立教比較文明学会紀要『境界を越えて──比較文明学の現在 第23号』に収録された巻頭インタビューを再録するものです。前編、中編、後編の3パートに分けて掲載します。

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「王道」との距離感

 今日は陣野さんからお話を伺うのを楽しみにしてきました。あらためてこれまでのお仕事ぶりを拝見させていただいたんですが、領域の広さと仕事量の多さ、スケールの大きさには圧倒されました。今日はこのあたりの秘密を教えていただきたいと思って。まずは陣野さんの批評活動の出発点についてうかがえますか。ご経歴を見ると、学部では日本文学を専攻された後、大学院でフランス文学を専攻されていますよね。こういう経歴は珍しいと思うのですが、どういった経緯だったのでしょうか。

陣野 僕は学部の卒業論文で詩のことを書いたんです。その詩論ではいろんな人を扱ったんだけど、その中に詩人であり仏文学者である入沢康夫がいたんです。入沢さんは明治大学で教えていたので、これはもう入沢さんを指導教授にするしかないと思って明治の仏文に行ったんですね。大学院には6年いたのかな。だから日文を選んだ、仏文を選んだというより、書いたものの延長線上でいろんなものを選んできたという感覚があります。修士論文はヴァレリーで書いたんですけど、詩について考えてきたところは一貫している感じはします。

 豊崎光一論も書かれていますよね。

陣野 よくそんなものを見つけましたね。豊崎さんは学習院の看板教授だった仏文学者ですけど、僕は短いものとは別に、豊崎光一論だけで500枚ぐらい書いたことがあるんです。それを知り合いの編集者のところに持っていったら、そんなマニアックなものは出せないと言われてお蔵入りしたんだけど、音楽に詳しいんだったらその代わりに音楽論を書かないかと言われて書いたのが、最初の『ソニック・エティック―ハウス・テクノ・グランジの身体論的系譜学』(1994年、水声社)という単行本なんです。

 豊崎光一さんからテクノやグランジにつながるというのはとても意外な気がします。

陣野 いろんな編集者と出会う中で本を出してきたということではあるんですが、そう言ってしまうと何の一貫性もないような感じになっちゃうんですけどね。

 最初の頃はセリーヌについて書かれていて、フランス文学のいわば「王道」を歩いておられた。でも同時期に『ソニック・エティック』やゲンズブールについても書いている。「王道」と並行して地下道や横道に入っていくようで、スピード感と自由自在度には驚嘆します。批評家・陣野俊史がどういうふうに生まれてきたかに関心があります。

陣野 ヴァレリーで修論を書いた頃に、フランスへ行ってぷらぷらしてたんですけど、王道を進むのはちょっと難しいなと思ったんです。草稿などの作家の資料を見るともう無理だなって感じになる。まだ移転する前のパリの国立図書館へ行くと、名だたる作家たちの部屋がある。未整理の草稿だけで小さな講義室何個分もあった。ここに時間と労力を突っ込んでいったら残りの人生はそれで終わるだろうと怖ろしかった。もともと日文にいた時も草稿研究みたいなことは嫌だなと思って仏文に行ったのに、ここでもそれか、という感じでした。だから90年代はそのあたりであれこれ悩んでいたところはあります。博士課程にいた頃から「現代詩手帖」や「ユリイカ」に書くようになって、当時は何でも書いていましたね。あの頃はあるテーマを設定してから書き手を選ぶというよりも、先に書き手を選んでしまうみたいなところもあって。そういう中で仕事を始めたので、自分の中でも雑文書きみたいだなと思うところもありました。