哲学対話の意義

河野 最初からひっくり返しのようで申し訳ないんですけど、哲学対話は、「哲学プラクティス」という別の呼び方もするのですけど、何が哲学で何がそうでないかについてあんまり明確な線引きしなくていいんじゃないのかなと思うのですよね。そもそも、最近は自分を「哲学者」と呼ぶのもやめていて、「何者でもない人」みたいに思っています。「何をやってるんですか?」といわれて「人助けです」みたいな、そういう感じに最近なっているので、なんでもいいのではないかなと思うんです。哲学対話は一種の話し合いであることは間違いないんですけども、哲学的かどうかのアイデンティティについては基本的にあまり問う必要はないのではないかと思います。ただ、対話的な活動をどのように実践していますかという点と、普通に話すよりも一つのテーマについてしつこく話し合うようなことをやってますかという点など、いくつかのところでは通常の会話とは区別をしています。そこを最初にお話ししていいかなと思っています。自分の活動は大きく言うと二種類あります。一つは大人向けです。今中心的にやっているのは、地域創生のための対話です。この前には福島県のある村でトンネルを開通させて地域おこしをするという計画があり、そこで対話の実践を行いました。そもそもその村ってどういう村だろうとか、みんなにとってこの自然とか地域ってなんのためにあるんだろうとか、そういう自分たちの地域とか自然とか文化というのを振り返るというようなもので、こうした対話を行うことが多いです。これがまず大人向けの、大きな枠で言うと地域創生の対話です。もう一つ、子ども向けの、教育的な対話の実践で、下は保育園、幼稚園、こども園から上は高校生まで、いろんな形で実施しています。主に活動場所は三つくらいあって、一つは学校です。大体学校に呼ばれて、高校だと総合的な探求の時間がやっぱり最近みんな気になっているらしくて、今日も実を言うとその話し合いがありました。探求の時間に対話的なものを入れて、テーマを深めながらじゃないと表面的な探求になりがちなので、もっと深く自分を考えて大きなテーマを扱うための探求をするという、高校生の探求学習の一環です。それからもう一つは、図書館での対話です。小学校の子ども図書館など、図書館で子ども同士とか大人で、大人と子どもの対話というのを取り持つという実践をしています。この活動は、永井さんにもずっと付き合っていただいています。三つ目は美術館です。この間は、新潟県南魚沼市の池田記念美術館で対話をしてきました。ちょっと東京みたいな大きな都市だとピンとこない部分があるかもしれないんですけど、地方だと図書館とか美術館って、その地域をつなぐすごく重要な文化スポットなんですよね。ここに例えば作品を作った作家さん、美術館関係者、そして子どもたちが集って対話をすることによって、もちろん地域の教育になっています。でもそれ以前にも、作家さんたちが真剣に保育園児と話し合うシーンは見ていてスリリングというかですね、冷や汗が出るような鋭さがあるんですよね。この前も、子どもは容赦ないというか、「こんなもの描いて何になるんですか?」みたいな質問をして、抽象画を描いてる作家の先生が、怒り気味にバーンとすごい真剣な言葉を発すると、それで子どもから返ってくるのが、とぼけたような味わいの発言でして、いい意味でひやひやするのです。このひやひや感が何ともたまらずいいなと思ってしまいます。私もファシリテータをしていて楽しいですね。このような形でいくつかの場所で哲学対話の実践をしております。地域創生を中心とした大人の哲学カフェ、まあ企業に行くときもありますけど、あとは学校とか図書館、美術館などで行っている教育的な対話です。大学についてはまたあとで。以上です。