本記事は立教比較文明学会紀要『境界を越えて──比較文明学の現在 第19号』に収録された巻頭インタビューを再録するものです。前編、中編、後編の3パートに分けて掲載します。
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翻訳と書くこと
福嶋 ところで、小野さんは英語とフランス語の翻訳をともに手掛けられています。そういう翻訳者は珍しいと思うのですが、複数言語を横断していく体験は作品に何か影響を与えるものでしょうか。
小野 珍しいかどうかはわかりませんが、複数の言語をやっている影響はかなりあると思います。どこがどうとは言いにくいですけれども……。
当たり前ですが外国語の本は、完全に違う言語で書かれています。ですからそういう本を読むことで、自分の日本語を相対化できるんだと思います。例えば、自分が小説を書くときに、これをフランス語や英語にしたら、どういう表現になるだろうと考えたりするんです。こういう書き方したら、翻訳しづらいだろうなとか。
福嶋 例えば、西インド諸島にはイギリスの植民地もフランスの植民地もあるわけで、まさに英語とフランス語が共存している。ただ、クレオールはどちらかというとフランス語圏の問題ですよね。僕は専門外なので詳しくはわかりませんが、イギリス語圏のクレオールというのはあまり聞かない。
小野 たしかに聞いたことがないですね。クレオール語は、フランスの植民地支配から生まれたものです。奴隷としてアフリカから連れてこられた言語の異なる人々が一緒にされ、しかもフランスからはさまざまな地方語をしゃべる人々がやって来る。つまり、標準化される前のフランス語と、アフリカの諸言語が出会い、もともとここに暮らしていたカリブやアラワクといったいわゆるアメリカインディアンの言葉も混じって生まれた言語なんです。
福嶋 それは面白いですね。
小野 クレオール語で書かれた小説もありますが、僕自身はクレオール語ができないので、どうしてもフランス語から翻訳することになります。パトリック・シャモワゾーは敬愛する作家ですが、彼の作品を翻訳したことはありませんし、クレオール語の表現を生かしたフランス語なので、訳すのは大変だろうなと思います。彼に会って話したときも「僕の言語を日本語やほかの言語に翻訳するのは難しいと思うよ」と言っていました。
福嶋 それでも『クレオールの民話』(パトリック・シャモワゾー、 [1988]1999、 青土社)のように難しそうなものも翻訳されていますね。
小野 はい。そうやってシャモワゾーの著作が訳されているのはすばらしいと思いますね。
フォークナーとラテンアメリカの作家
福嶋 地理的には、キューバを挟んでマルティニークの対称のところにアメリカのミシシッピがあります。今まさにミシシッピを舞台にしたフォークナーの作品を翻訳されているそうですが、どういうきっかけで訳すことになったのでしょうか。
小野 僕自身、もともとフォークナーに興味があったわけですが、たまたま池澤夏樹さんが『ポータブル・フォークナー』(The Portable Faulkner, 1946)を訳したいとおっしゃっていて。
福嶋 マルカム・カウリーが編んだ有名なアンソロジーですか。
小野 そうです。これがあったから、フォークナーは再読されるようになり、偉大な作家だと認識されるようになった。池澤さんはあの本に並々ならぬ思い入れがあるそうです。ただ、一人では無理だというので、柴田元幸先生と僕が一緒にやることになりました。それから、桐山大介さんという若手のフォークナー学者にも入ってもらい、4人でやっています。翻訳とは、ある作家の小説言語がどのように作られているかを精査するいい機会ですから、フォークナーの文体の謎に迫れるかもしれないと思って参加した側面もあるのですが、訳すのはとても難しい。
福嶋 そうでしょうね。思うに、ヨーロッパのモダニズムなりシュルレアリスムの遺産を、ある意味で一番うまい具合に再起動したのがラテンアメリカの作家でしょう。ラテンアメリカの文学は一見すると土俗的な世界を書いているように見えるけれども、実際には非常に知的な操作によってつくられている。そういうものの原点にフォークナーがいるわけで、小野さんが経由してきた文学史の原点にさかのぼっていくような作業に思えます。グリッサンもフォークナーについて何か書いていますよね。
小野 『フォークナー、ミシシッピ』([1998]2012、 インスクリプト)ですね。グリッサンにとって、フォークナーは重要な作家です。彼はもちろんフランス語訳で読んだわけですが。ガルシア=マルケスは「フォークナーはカリブ海の作家なんだ」と言っています。ガルシア=マルケスがアメリカ南部に行ったときに、「これは俺の知っている世界だ」と思ったらしいんですね。つまり、彼の生まれ育ったコロンビアのカリブ海沿岸地域の風土とアメリカ南部の風土が似ていると感じた。だから、フォークナーはアメリカの作家じゃなくカリブ海の作家だと。
福嶋 ガルシア=マルケスはフォークナーを上手くアプロプリエートしたわけですね。
小野 僕としても、ガルシア=マルケスにあそこまで影響を与えた作家の文体がどのようにできているのか知りたいわけです。すごく難しいけれど、こうした怪物的作家を訳せるなんて本当に貴重な体験です。