翻訳と日本への紹介

小野 西谷先生がルジャンドルの話をされるようになったのは2000年が近くなった頃からの印象があるんですが、そんなにさかのぼるんですね。

西谷 表立ってはそうですね。でも番外地ゼミでは90年代の半ばくらいからはルジャンドルだけをやるようになっていました。翻訳をしないと自分が日本で使えないでしょう。だからまず翻訳をしないといけない。フェティ・ベンスラマはUne Fiction Troublante : De l’Origine en Partage”(1994、Paris: Editions de l’Aube=1994、『物騒なフィクション──起源の分有をめぐって』筑摩書房)でとくにDésir Politique de Dieu([神の政治的欲望]1988、 Paris: Fayard)などを引用していてルジャンドルをよく知っていたので、「日本に持ち込むには何から始めるのがいいかな」と彼に相談して、Le Crime du Caporal Lortie.Traité sur le Père(1994、 Paris: Fayard=1998、『ロルティ伍長の犯罪―〈父〉を論じる』人文書院)から訳すことにしたんです。それが出たのが1998年。

それから2003年の秋に東京外大でルジャンドルを日本に呼んで、ともかくそれに間に合わせようと論文集の『ドグマ人類学総説』を皆で訳し、講義シリーズ最初の『真理の帝国』も橋本さんと二人で訳しました。みんなゼミでやったものです。その他、橋本さんや森元さんがいくつか講演集を訳していますが、現在までそれ以外のまとまったものはなかなか訳せていない。大変なんですよ、これが。私は今De la Société comme Texte. Linéaments d’une Anthropologie Dogmatique([テクストとしての社会─ドグマ人類学要諦]2001, Paris: Fayard)というのを訳そうとしていますが、たぶん嘉戸さんが『神の政治的欲望』をやっていて、佐々木さんはLes Enfants du Texte([テクストの子どもたち]1992, Paris: Fayard)をやったんじゃないかな。日本に来た後にルジャンドルは、もう一度原点に立ち返るみたいにしてL’Autre Bible de l’Occident([西洋のもう一つのバイブル]2009, Paris: Fayard)という本を書きましたが、これは森元さんがやることになっています。森元さんは長くフランスにいてルジャンドルにだいぶ世話になり、博士論文はルジャンドルが絶賛しました。それからDieu au Miroir([鏡を手にする神]1997, Paris: Fayard)というのも誰かがやるという話がある。すると後はL’Innestimable objet de Transmission([伝承の高価な対象]1985, Paris: Fayard)とかLa 901eme Conclusion([九百一番目の結論]1998, Paris: Fayard)とかがあるのですが、若くて元気のいい人が出てきてやってほしいんだけど、かなり独特の言葉遣いだったり、法や精神分析のことも読める人でないとまずいので、なかなか面倒ですね。

小野 そうするとルジャンドルの翻訳はこれから数年のうちに結構まとまって出そうですね。

福嶋 こんなに翻訳が出ている国はほかにあるんですか。

西谷 ドイツでは全集の刊行が進んでいます。英語圏ではデリダの『法の力』の講演をさせたニューヨーク市立大のピーター・グッドリッチが編んだアンソロジー(Law and the Unconscious: A Legendre Reader -Language, Discourse, Society)が20年ぐらい前に出ているけど、アメリカとはそりが合わないのかもしれません。イタリアやベルギーでは研究書もでています。日本でもアンソロジーが出せるといいとは思っています。

小野 いまおいくつですか。

西谷 1930年生まれだから、87歳ですか。でも、とても元気で、つい最近(2017年11月)もパリで会ってきました。今、4本目になる映画、「西洋人がreligionと呼ぶもの」をテーマにした映画をつくろうと熱を入れています。

小野 西谷先生は本当にいろいろな人を日本に紹介していますけど、いわゆる紹介者にとどまらないお仕事をずっとされていますね。

西谷 それは、考えることが仕事だと思っているから。自分が刺激を受けた仕事、あるいはこんな人がいるというのは紹介したいと思う。例えばフェティ・ベンスラマの仕事を論じたくても、それが日本にとってどういう意味があるのか、あるいは、今の世界にとってどうなのかというのは、日本語でまず知ってもらわないと話にならないでしょう。クレオールにしてもそうです。だからまず翻訳するわけです。それに翻訳というのは、解釈学のまたとない訓練です。

小野 今はクレオールという言葉はかなり一般化していますけど、それは西谷先生がシャモワゾーとコンフィアンの『クレオールとは何か』を訳し、グリッサンを紹介したことが大きいわけですよね。それでみんなクレオール文学ということを言うようになった。かつて、安部公房がクレオールということを言いましたけど、それはほとんど忘れられていたわけだから。「小野さんはどうしてクレオール文学に興味を持ったんですか」とよく聞かれますけど、「西谷修先生に教えてもらって」といつも言っています。

西谷 いつも小野さんに宣伝してもらっているね。クレオールに関しては、民族学の方から今福龍太さんの貢献も大きいですね。私に関して言えば、2000年に『世界史の臨界』というちょっと中途半端な本を出しましたが、私は「世界性」ということについて考えたいんです。世界がわたしたちの生きているこの世界であることについて。その時に「クレオール」という歴史的事象は欠かせないと感じたので、ともかくそれは紹介したいと思いました。ラファエル・コンフィアンやエドゥワール・グリッサンが来たときは、NHKで番組もつくりました。数年前、パトリック・シャモワゾーが来日して紀伊国屋ホールで大江健三郎さんと対談した時に、大江さんが『クレオールとは何か』に付けた私の解説に言及してくれたそうです。あの解説で、クレオールのエッセンスがわかったということと、西谷という仏文学者がなぜ沖縄のことに関わってそんな仕事をしているかわかった、というようなことを言ってくれたらしいので、よかったなと思いました。最初から徒労は承知でやっているけど、そういうふうに受けとめてもらえると本望です。小野さんの最近の作品以外の活動のなかにも、その余波がうかがえるようでうれしく思っています。

福嶋 フランス系の人はややもすればレトリックに凝る傾向があると思うのですが、西谷さんの文章は、むしろスッと馴染みやすいというか、入りやすいですよね。

西谷 若い頃は別として、あまり余分なことは配慮せず、要所をできるだけ明確かつ的確に、わかりやすく書こうと心がけています。

福嶋 翻訳の仕事にしても、あらかじめ誰かが道をつけたということではない、未開の荒野を耕すようなところがありますね。まだ導入されていない人を訳すのは責任も伴うわけですが、むしろそういう作家こそ進んで翻訳されているように見えます。

西谷 そうですね。同じ作家の作品をいくつもやっていないのは、道をつけておけば、後は誰かがやってくれるだろうと思うからです。翻訳というのは結構面倒な仕事だから。例えばクレオールも、幸いその後にいろいろな人たちが関心をもって、今では小説もたくさん出ている。だから、そこはもうやらなくていい。あとはクレオールが自分にとって何かということを深めていけばいい。その点では、同業者の人たちを信頼しています。

<中編>へ続く