ルジャンドルとの出会い

小野 僕は幸運にも西谷先生に出会いましたが、西谷先生ご自身には「先生」と呼べるような人はいないんじゃないですか。

西谷 確かに。初めは法学部で、フランス系はほとんど独学で横から入ったから、あまり相手にもされなかった。でも、「学恩」を感じている人は何人かいます。日本宗教思想史の阿満利麿さんとか、キリスト教思想の山形孝夫さんとか、もう一人はピエール・ルジャンドルですね。出会ったのはそんなに若い時じゃない。阿満さんとは明治学院大学の同僚でしたから40歳頃です。阿満さんの『宗教の深層』や『親鸞・普遍への道』などには大いに啓発され、研究会に加えていただいて、伊勢神宮の成立ちから近世思想を通って大逆事件に至るまで、多くのことをてほどきしてもらいました。祭祀の研究で宮古島に初めて行ったのも阿満さんを介してです。それ以降、沖縄に少し違った観点から近づくようになりました。

山形さんは、20年ぐらい前に講談社現代新書の『聖書の起源』を読んで強い印象を受けたんですが、これが絶版になるというから、筑摩書房の人に文庫に入れられないかと相談して、その話が通った時に初めてお会いした。『治癒神イエスの誕生』も筑摩の文庫に入ることになりました。また、『死者と生者のラスト・サパー』という本にも感動して、この人の宗教思想は深いと思いました。実際にお会いして話したら、なんと山形さんは私が訳して解説したジャン=リュック・ナンシーを読んでいた。『死者と生者のラスト・サパー』にはその匂いがあるんです。山形さんは領域としては宗教人類学で、宮城学院女子大の学長もやった人ですが、外大のAA研と共同研究のメンバーでもあって、板垣雄三さんや三木亘さんとも交流が深かった。仙台の人なので、東日本大震災の後は東北の各地を何回も案内してもらいました。

小野 ルジャンドルを最初に読まれたのはいつ頃ですか。

西谷 ルジャンドルは本人に会ったのが先で、1992年かな。フランスに1年間行っていた時に、ある雑誌から戦争について寄稿依頼を受けたんですが、フランス語で十分な論文を書く余裕はないと思って断ったことがありました。そうしたらある時、パリ第8大学のピエール・バイヤール(『読んでいない本について堂々と語る方法』の著者)が、「会わせたい友人がいる」と言うんです。でもその時、「湾岸戦争についてどう思うか」と聞かれて、「あれはアメリカの新たな世界統治の戦略だ」というようなことを言ったら、「OK」と言って連れてきたのがフェティ・ベンスラマでした。そうしたら彼は私に寄稿を依頼してきた『アンテルシーニュ』という雑誌の編集発行人だったんですね。どうやら、鵜飼哲さんと知り合いで、その入れ知恵だったらしい。バイヤールとベンスラマは精神分析仲間です。それが2月ぐらいのことでしたが、4月初めにチュニジアで3日間かけて大きなシンポジウムをやるから来ないかと言うんです。ヨーロッパと、アラブ・イスラーム諸国の学者が集まるけれど、これでは地中海を挟んで差し向かいだと。テーマは“Sujet et citoyenneté(主体と市民性)”で、湾岸戦争の後、アラブ・イスラームの主体性を強調しようとするとみんな原理主義に走ってしまう。それを防ぎながら自立を考えるためには市民性という要素が欠かせない、そんなモチーフでした。それなら私は、日本と西洋との関係を踏まえて、西洋との差し向かいとは違う視点を呈示しようかと言うと、「それが必要だ」というので、帰国予定を延ばして4月にチュニジアのシンポジウムに行くことにしたのです。

そのシンポジウムはにぎやかで、ジャン=リュック・ナンシーやラクー=ラバルトやエティエンヌ・バリバール、それにジョルジォ・アガンベンなども呼ばれていました。行く前にバイヤールに参加者リストを見せると、彼はピエール・ルジャンドルという名前を指して、「これは、とても気難しい人だが、この人のやっている仕事は大変興味深くて重要だ」と言ったんです。予備知識はそれだけ。

チュニジアに着いて、空港から会場のモナスティールという街まで行くミニバスに乗ったら、ダリウシュ・シェーガンというイラン人と隣になって、彼は2、3度日本に来たとかでいろいろ話をしていた。それで伊勢神宮の式年遷宮の話をしていた時かな、前の席に坐っていたお茶の水博士のような頭をした赤いジャケットのおじさんの耳が急にピクンと動いた。バスが休憩で止まった時に、そのおじさんに声をかけると、「私はピエール・ルジャンドルといって……」と言うではないですか。こちらも「お会いするのを楽しみにしていました」とか言って、それからシンポジウムの合間に何度か話をしました。そこで彼が何をやっているかをだいたい聞いて、私も死の経験や臓器移植のようなことを考えていて、なにか響き合うところがあるから今後もよろしくということになったんです。そうして帰国したら、2、3冊本を送ってくれた。それが最初です。