象徴としてのジダン
林 そもそもサッカーへの関心はどこから来てるんですか。
陣野 ジダンです。ジダンに出会わなければサッカーを見るようにならなかった。ジダンは最初にフランス代表に選ばれた94年に鮮烈なデビューを飾って、96年のヨーロッパ選手権では期待されながら結果が出なくて、98年にフランスのワールドカップで優勝した時に英雄になるんです。僕もずっと寝ないで試合を見ていましたよ。
林 その魅力は何だったんですか。他の選手とは何が違うんでしょう。
陣野 それがわからないから本まで書いているという感じです。ただ2年くらい前に出た、女性の心理学者がジダンについて書いた面白い本があって、ジダンはあんなにマッチョな世界に生きているのに、フェミニズムの視点から見ても全く理解できる行動をしているというんです。マチズモの極地、同性愛の人に厳しいサッカー界に生きているのに、ジダンはなぜそういう文化に染まっていないのかというのがその本の出発点になっていて、これはジダンを取り巻くわからなさみたいなものをひとつ言い当てているなと思いました。
林 それは彼の生き方とか生きざま、プレーとは違うところにあるんでしょうか。
陣野 いやいや、その辺もあります。お父さんのことも、カリビーの文化もそうだし。最終的にはわからないまま終わるんだけど、でも、こうじゃないか、ああじゃないか、みたいなことを考えています。
林 頭突きとか、活躍した時期のプレイの仕方とか、そういう「点」ばかり脚光を浴びるんだけど、それがつながってこないんですよね。
陣野 それを全部つなごうとしていて、原稿用紙で千枚ぐらい書いて、ちょっとつながって見えてきたかなという感じです。全人格的な部分。まだ終わってませんが。
林 そこには彼の両親の出身地の状況とかがすべて関わってくるわけですね。
陣野 そうです。アルジェリアとフランスはかなり複雑な歴史を抱えているけど、それも含めてサッカーが象徴してしまっているところがあって、政治的な面も含めてその一番象徴的なところに未だにジダンがいる。そこから何かちょっと見えるものがあるんです。
林 最後になりますが、ジダン論の後、また桐山論みたいなものの構想はあったりするんですか。
陣野 ジダンの後のことは今のところ考えていないですね。
林 小説のほうはどうですか。
陣野 小説はライフワークがひとつあります。やっぱりローカルなことしか書けないんだけど、書きたいと思って調べている小説の素材はあります。ただ、今の僕の力ではまだうまく書けないなという感じです。
林 文芸評論は?
陣野 『戦争へ、文学へ』(2011年、集英社)を書いて、その後の小説論は書かないんですかと聞かれることはあるんですけど、今のところ考えていないです。文芸評論で言うと、福嶋亮大さんをはじめ、今30代後半から40代くらいの書き手は結構いると思うんです。福嶋さんの世代というのはがんばっていると思うから、彼らの仕事を愉しみにしているという感じはあります。ただ、基本的に負けず嫌いなので、負けていられないと思えば、また文芸評論の舞台に舞い戻ることもあるかもしれない。ただ、もう60歳も超えたので、ライフワークとしては、ジダンのことと、それから長い長い小説と、マダガスカルを中心としたアフリカの文学のことは書き残しておきたい、と思っています。