ラップと階級社会

 階級つながりでラップ・フランセに話を戻しますが、コンゴ出身のラッパーのメイトル・ギムスなんかは、まさに社会の下のほうから上昇していくわけですよね。ものすごく人気もあって、今や自家用ジェットで移動していたりするわけですけど、そういうあり方について陣野さんはどうお考えですか。

陣野 ギムスはすごい名曲を出しているけど、やはり今は難しいですよね。歌うべきことが枯渇してきた感じで、本人も自分のパワーやポテンシャルが落ちてきたのがわかっているから、いろんな人とコラボレーションする。でもなかなかヒット曲が出ないというのが続くんだろうなという感じで、がんばってほしいけど、歌うことがなくなったら難しいだろうな、と。

 ラップというのは厳然とした階級社会がその中に入っているものなんですね。

陣野 はい、歌の中に入っていると思います。

 それがないことにはちょっとなかなか。

陣野 続けていくのは難しいと思います。

 翻って、日本はフランスの階級社会とはまた違う部分があると思いますけど、日本でもラップ・フランセみたいなものは出てくるんでしょうか、あるいはもう出てきているんでしょうか。

陣野 先日、明治大学で「ラップ音楽と人種、ジェンダー」というシンポジウムがあって、川崎のFUNIというラッパーがオンラインで参加して、川崎のラップの現状みたいなことを語っていました。川崎はそういう意味で面白い場所になっていて、外国の人も受け入れて、その人たちが日本語でラップする、みたいなことが起きている。それから、わざと日本語を選ぶラッパーが増えてくると状況が変わってくるんじゃないかと思います。

 わざと日本語を選ぶというのはどういうことですか。

陣野 例えばMoment Joonというラッパーがいて、岩波書店から自伝的小説も出している人。彼は韓国から日本にやってきて、交換留学生としてやって来た大阪大学で日本語でラップを始めてラッパーになっているんです。そういう人が増えると日本語のラップも変わるかなと思います。Moment Joonは完全に移民で、これまで日本には移民のラッパーみたいなものの場所がなかったと思うんだけど、それがちょっとずつ増えていけば、サウスカワサキの現状ともリンクしながら変わっていくのかなと思います。例えば、もう亡くなってしまったECDというラッパーが首相官邸前でラップをしていた時代があったわけです。いまから10年くらい前の話。そこから時代が少し動いてきていて、移民のラッパーも含めて、様々な出自の人たちがラップする時代に少し入ってきているかなとは思います。

 そうすると、これから少しずつ変わっていく可能性はあるということですかね。

陣野 そう思います。日本のラップの未来は明るいって思っています。