執筆中の新作について
福嶋 現在準備中の新作が、デビュー以来最長の小説になると聞いています。構想を少しお聞かせいただけますか。
小野 これまでずっと話してきた2つの主題、つまり、「浦」という小さな土地を書くという主題が一方にあり、他方に、フランスのクロードのうちで暮らして以来、強く意識することになった難民や移民という主題があるわけですが、この2つをなんとかひとつにしたい。「浦」が舞台になります。今度もまた、「浦」に外から人がやって来るんです。それは主人公と思われる若い女性で、ヨーロッパに住んでいたことがあるという。彼女が来たとき、「浦」ではちょっとした事件が起きている。それを彼女が傍で見聞していく中で、先ほどの話でも指摘されたように、「浦」の過去の出来事が問題になってくるんです。主人公が「浦」の世界に出会うことで、それが明らかにされていく。
しかも、福嶋さんが指摘されたとおりで、この作品でもやっぱり母ではない人物が、母的な役割を果たしている。夏休みに滞在するなど小さい頃に世話になった女性のところを、ヨーロッパから帰ってきた彼女が訪ねるところから物語が始まります。当然、彼女がヨーロッパに行ったときの話が、回想として入っていくはずです。
福嶋 『九年前の祈り』はタイトルにも「九年前」と入っていますし、主人公も35歳と明記されていますよね。具体的な年齢や年代に即して書かれていますが、今回もそうなるのでしょうか。
小野 一応、自分の中では設定しています。少し未来の話ですね。
福嶋 それは新境地ですね。
小野 「浦」から人が消えていって、「浦」が終わりに向かっていくとはどういうことかという問題意識があるからでしょう。
福嶋 幽霊的な存在が「浦」に再来するのが小野さんの当初からのモチーフだったとすると、いわば第3期の小野さんの小説では、「浦」そのものが幽霊のようになってきて、新しい役割がそこに与えられていく感じがしますね。
小野 そうですね。そういう問題意識があるから、本当に「浦」が幽霊になってしまうのか、それとも何か新しい変化が生じて、「浦」は生き続けるのかを、少し長めのスパンで考えてみたくなったのかもしれません。終わりを見届けるのか、それとも終わらないで続くとしたら、どういう可能性があるのか。書き終わっていないから何とも言えないのですが。
福嶋 なぜ長篇にチャレンジされようと思ったのでしょうか。
小野 クッツェーの書くもののように、長篇といっても短めで、なのにあれだけ深く遠くに届くような小説に、とても憧れます。その一方で、物語性のある長篇小説、ずっしりと大きな作品を書いてみたいと思ったんですね。
福嶋 先ほども話に出た19世紀的なものへの回帰でしょうか。
小野 そうですね。19世紀的な小説に対する憧れもあるでしょうね、時代錯誤的ですけれど。
福嶋 いやいや、それは価値のあるチャレンジでしょう。大変楽しみです。
小野 今まで僕が書いたものは、アメリカでいうと長いものでもノベラ(Novella)、中篇ぐらいなんです。一度、しっかりとした長さをもったノベル(Novel)を書いてみたいな、と。でも、単純にリニアな書き方はできないので、いろいろ組み合わせるような形で、ひとつの長篇作品にしたいんです。ある程度の長さがないと書けない主題でもありますから。うまくいかないかもしれない。でも、いいんです。
福嶋 まぁ水死人の上に成り立つのが小説ですから(笑)。
小野 水死人になっちゃったりして(笑)。ともかく、これまで原文で、あるいはさまざまな翻訳を通じて読んできた作品から受けとってきた喜びや感動を忘れずに、文学に向き合い、書き続けたい。それだけです。
(2018年7月27日 立教大学小野正嗣研究室にて収録)