カズオ・イシグロと医療思想史

小野 先ほど、存在論的なものに基づく制御的な技術論の限界についてお話をされていましたが、西谷先生は、医療の問題についてもお仕事をされていて、その観点からも今年(2017年)のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの作品についても言及されていますよね(「”思い出” をもつことの無惨」『理性の探究』2009、岩波書店)。西洋の思想、西洋の形而上学が提示してきたような技術論とは違う技術論を考えていらっしゃると思うのですが、それを今後どういう形で展開されていくのでしょうか。

西谷 何年か前から、人間と技術ということをまとめたいとは思っていて、なかなか進まないのですが、それは今、とても重要なテーマだと思っています。現実の方がドンドン勝手に進んで、もう間に合わないかもしれないけど。

クローン人間を題材にしたカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』が素晴らしいのは、技術やヒューマニティ社会の産物の世界を、それ自体ヒューマン世界のうちにあるかのようにシームレスかつ分離して描き出しているからです。あれを読んだ多くの人たちは、「クローンというのは自分たちと全く同じなんだということがわかった、云々」ということを言いますが、その受けとめの素朴さみたいなものを、逆にすごく肯定したいですね。クローンは、技術がつくり出すもので、ある意味ではモノとしてつくり出される。けれどもそのことが意識形成のうちに規範化されている。だからモノとして生み出されたものも、私たち人間として生まれてきたものも、生きるという経験の地平では同じなんだ、ということを描ききった。そこから浮かび上がるのは、あらゆる人間は死ぬ。クローンだって死ぬ。生きているって、見えない終りを結界として生きるということだと。それが人間の基本条件になっているわけです。そうすると、これは科学に対する考え方も変えさせます。科学は有限性を考慮できないんじゃないか、と。要するに、人間をつくれるのか、つくっていいのかとか、そういう問題も実はそこに含まれている。

だから、イシグロの作品を「結界の小説」と呼ぶんですよ。結界、つまり見えない限界。けれど、限界はある。だから、あるところまで進み出て、ウワーッとなって進めない、もうそこは超えられない限界なんですよ。でも、それが人為的な拘束だとは思えない。あのクローンはみんなそうでしょう。そして、何回かミッションを果たして消えていくという、そのことを書ききっている。

小野 最後に見えているのは灰色の風景ですからね。

西谷 人間も同じです。いつか死ぬ。死というのは必ずあるけれど、来るまでわからないから、人は無限定の中を進んでゆく。だから、自由だと思うし、無思慮な技術人間は不死を目指す、あるいは結界を遠ざけようとする。けれども、生き物であるかぎりそれはできない。結界は結界としてあるわけです。

小野 あの小説はそのことを書いているわけですね。

西谷 そうです。『日の名残り』も、違う位相で全く同じことを書いている。執事って、自発的隷従の快楽ですね。矩を越えないことの完璧さを求める、そういう意志を作品化した。だから、カズオ・イシグロというのは「結界」の作家だと思う。

医療思想史を表立ってやるようになったのは、東京外国語大学にいた時に、たまたま東京医科歯科大学や東工大、一橋大と組んで大学院コースをつくることになった時に、医療思想史だったらやりますよ、と言って引き受けたのが始まりなんです。先ほどのコナトゥスの実践版なんですが、やはり人間の思考というのは、人間が生きていることが前提の世界でしか意味がないんですね。そこで問題になるのが、医療とは何かということです。

医療というのは3000年以上前からあって、バビロニアの「ハンムラビ法典」にも、「下手な手術をして患者を傷つけたらいくらの罰金」といった項目もあるそうです。日本語の「医師」という言葉も、周の時代の決まり事―まさにドグマ的なもの―を記した『周礼』という竹簡文書がありますが、その中に官職として「医師」というのがあるんです。つまり、医師というのは、そんな古い時代にも必要な官職だった。人間の集団が生きていくのに必要だからですね。

中国の場合は面白くて、起源についてはいろいろ説があるけど、司馬遷をはじめとして、起源を書き起こす時、最初の世襲王朝の夏の前に、神話的な「皇」とか「帝」とかが出てきます。夏王朝を設定するのは禹(う)といって、灌漑・治水をした人だけれど、その前に代表的なので伏羲というのがいる。その伏羲は女媧というのといつもペアです。絵で見ると、伏羲(ふっき)と女媧(にょか)は男と女で、人頭蛇身、その体がお互い絡まっている。その伏羲と女媧が、いろいろなものをばらまいて人間をつくる。だから、太初なんですが、伏羲は天地の法則を明かして、八卦をもたらした。その次に神農というのがいて、これは頭に牛のような角が少し生えていて、草の衣をまとって、胴体が半分透明で、あらゆる草木を食べて、1日70回下痢するという。つまり、農耕を教え、何が食べられるか食べられないか、何が薬草になるかを身をもって教えたということです。中国最初の薬書はその神農が書いたとされ、『神農本草経』として伝わっています。その次に黄帝が現れる。「ユンケル黄帝液」の黄帝です。この帝は『黄帝内経』という本を残していて、それは中国最古の医書として伝わっている。

そうしてみると、中国では権威・権力の起源は養い癒す力を基にしていることになる。神話的起源と言われる三皇五帝の三皇というのはそういう人(?)たちです。生きている人間を生かして、癒やして、というのが、統治の力を持つ。もっとも、殷の時代には平気で人身御供なんてやりますけれどね。

ギリシャのヒポクラテスもよく似ていて、その教えで一番大事なのは、冥界の主ハーデースの手に渡ったものに手を出してはいけないということです。人には生きる力があって、生きる力がある者は、医者が助けられる。しかし、それが消えた時には手を出してはいけない。医者は何やるかというと、生きる者の養生をやる。

ヒポクラテスは近代医学の祖だ、といった言われ方をしますが、実はそうではない。アスクレピオスという医の神の24代の頭領だと自分で言っていて、アスクレピオス神殿というところで医療をやっていた、神殿医だったようです。だから、全然合理的でも近代的でもない。病者を経験的に観察記述して、癲癇が脳の病気だといったことはきちんと見極めていたけれども。

医療というのは、言ってみれば身体として生きる人間の生の養生だということです。そういう観点から「医」についての考え方の歴史というのを考えてきました。

先ほどドグマ人類学をめぐって、生まれてきた赤ん坊が人間化していく話をしましたが、そのプロセスはやはり生きて形成されていくプロセスなわけです。ところが、こういうところは哲学が扱ってこなかった。つまり、哲学は、日本語で言うと偶然にも2つの「せい」ですが―生きるということと、セックスつまり生殖・繁殖ということを排除してきたんですね。近代になって初めて生の哲学なんかが出てきたけれど、形而上学の伝統の上でやっている限りどうしてもズレていって、新しい観念論やら唯物論のような話になってしまう。だから、そうならない形で、人間の再生産とか継承といったことを考えていくというのも、アントロポス化した哲学の課題だと思っています。フマニタス系の哲学だとそれを本能とか生物学の問題にしてしまう。そこで、「君たちだっておちんちんあるじゃん」みたいなことを大っぴらに言うために、すごく嫌われたのがバタイユじゃないですか。バタイユは哲学的思考に性を持ち込むために『エロティシズム』を書いたわけです。

ところが、バタイユがその後社会的にどんなふうに継承されているかというと、性産業でしょう。ある学会でバタイユのシンポジウムがあった時、小説の研究をしている人が、「実際にバタイユで一番読まれているのは小説なんですよね」と言うから、私は「それは当たり前でしょう」と言ったんです。今の産業セクターの中で、軍需産業、製薬業に次いで、最も売り上げが高いのがポルノ産業なんですから、いちばん消費されるのはそれです。だから、バタイユのことを知らなくたって、古典的なポルノ小説だと言えばみんな読む。それは単に当たり前のことです。目玉を抉り出すとか、妄想的な性遊戯をやるとかいったことは、今では性産業のほうに完全に回収されてしまっているわけです。

けれども、なぜバタイユがそんなことをやらざるを得なかったか、やってしまったか、ということの根本は、我々が引き継いでいると思います。だから、今でも私は、誰が何と言おうと、バタイユから多くを受け取ったバタイユの徒だと思っているんです。