さまざまな分野で活躍する文芸・思想専修の卒業生を紹介するインタビュー・シリーズ。今回ご紹介するのは渋谷区役所に勤める山口莉奈さん。日本の最新カルチャーを発信する街のなかで、地域住民や海外から訪れる観光客とかかわりながら働く山口さんに、文芸・思想専修を選んだ理由、その学生時代と現在の仕事について、お話をうかがいました。


「自分の言葉」を聞けたから──文芸・思想専修を選んだ理由

通っていた中高一貫校では音楽部に所属していました。音楽部といってもバンドを組んだりするわけではなく、やっていたのはミュージカルです。中高生の部活動にしてはかなり本格的で、高校2年生の夏で引退するのですが、毎年上演会があって、引退する高校2年生が脚本と演出を担当し、高校1年生がメインキャストを演じ、中学生がアンサンブルをするという伝統がある部活でした。

私たちの代は映画『メリー・ポピンズ』をミュージカル作品にしました。私は脚本と大道具も担当したのですが、一番メインでやったのは舞台照明です。演劇部の人に照明器具の操作方法を教えてもらいながら、脚本や演出やダンスを担当している部員たちと相談をして、照明のプランを練っていきました。当初思い描いていたようにはできなかった部分もありましたが、部員たちと膝を突き合わせながら、ああでもないこうでもないとみんなで考えてひとつの舞台作品を作り上げていくことは単純に楽しかったですし、いま振り返るとその経験から学んだことは多かったように思います。

もともと本を読んだり、文章を書いたりすることが好きだったこともあって、大学では文学部に進もうと考えていました。いろいろな大学の文学部について調べている中で立教の文芸・思想専修に出会ったのですが、とくに卒業時にいわゆる卒業論文だけでなく、卒業制作を提出してもいいという創作的な部分に惹かれました。そこにはミュージカル作品を作った影響もあったのかもしれません。ちょうどオープンキャンパスがあったので参加してみたら、レンガ造りのキャンパスが目に飛び込んできて、なんて素敵な場所なんだと一気に引き込まれました。ただ、立教の文芸・思想専修を志望する決め手になったのはキャンパスツアーを担当してくださった学生の方でした。学生生活や大学について説明してくださったのですが、ときに自分の体験を交えながら語られる言葉がとても生き生きとしていて。いろんな大学のキャンパスツアーに参加しましたが、立教のツアーのように「自分の言葉」で語ってきた人はいませんでした。

オープンキャンパスを終えて第一志望を文芸・思想専修に固めた頃、たまたま学校に文芸・思想専修の推薦枠があることを知りました。このときは、もうこれは運命だと思いましたね。評定偏差もクリアでき、晴れて文芸・思想専修に入学することができました。


世界への眼差しをひろげていく──文芸・思想専修での日々

文芸・思想専修の授業ですごく印象に残っているのは、1年生のときに受けた「怪奇小説を読み解く」という授業です。近代から現代までの幻想・怪奇小説を紹介しながら、そのテキストを分析していく内容でした。それまで幻想・怪奇小説にはそれほど親しんでいなかったので、自分の知らないジャンルのすぐれた作品をまとめて知れることがうれしかったのと、あと、いわゆる「文学」作品とはあまり思われない小説、たとえば『涼宮ハルヒの憂鬱』を取り上げて、そこに幻想・怪奇小説と共通する文学的表現を読み取っていくことには興奮しました。私はアニメ作品やラノベ作品も好きで親しんでいたので、そうした作品と文学の本流のような作品とが、表象のされ方に隔たりはあっても、テキスト表現の上では一本の線でつながっていると知ったとき、たしかに世界がひらけた実感がありました。

一方で、創作的な部分に惹かれて入った文芸・思想専修でしたが、実際にそこに身を置いて感じたのは、自分には創作行為はあまり向いていないのかもしれない、ということでした。中学、高校の頃からブログを書いたり、物語作品の設定やプロットを考えたりしてきたのですが、果たして自分は創作行為をしなければ生きていけないのかと考えたときに、そこまでの情熱を持っていないことに気がついたんです。創作に没頭するタイプの同級生や友人に触れる機会が増すにつれ、どんなジャンルの作品であっても、創作行為を生活の糧にしている人たちは、そうしなければ生きていけないというような情熱や覚悟を持っているんだな、と感じました。それを「才能」と呼ぶとしたら、自分にはその才能はないのかもしれないと思うようになったんです。

自分で自分を凡庸な人間と思うことには苦しさが伴いますし、実際、将来について真剣に考え始める大学時代にそういう認識を持ったことには痛みもありましたが、だからといってそれまで自分が好きで親しんで来た小説やアニメ、映画やミュージカルといった表現が嫌いになるわけではありません。それに、あらゆる作品は作り手だけのものではなく、受け手がいるから成立するものですよね。だとしたら、私は作り手が全力を注いで世の中に送り出した作品を、丁寧に読み解ける受け手になりたいと思ったんです。そういう意味で、さきほどお話した「怪奇小説を読み解く」やアニメ作品を解析する授業のように、幅広いジャンルの作品理解に関する授業がある文芸・思想専修は、私のような人間にとってさまざまな気づきを得られる環境でした。


だれかのために働く──区役所での仕事

卒業後は東京都特別行政区の渋谷区役所に職員として入区しました。大学3年生になって就職について明確に意識しはじめた頃、自分の性格を考えると民間企業よりも公共機関に所属して働くことが向いていると思ったんです。もともと母方の祖父母と曾祖父が教職に就いている家庭環境だったこともありますが、公共機関で働くことを具体的にイメージできたのは、大学2年生のときに地元の神奈川県横浜市戸塚区のインターンシップを体験していたからです。3ヶ月間、週に1、2度区役所に通って業務をサポートする内容だったのですが、住民の方と触れあいながら、その声を聞き、地域の活性化に努める職員さんたちの姿に触れることができました。昔から競争したり自分のためにがんばったりすることが苦手だった私は、だれかのために懸命に働いている区役所の方々の姿勢に自分を重ねたところがあるのかもしれません。

渋谷区役所に入区することになったのは、こう言うと語弊があるかもしれませんが、偶然なんです。行政区の職員になるには筆記試験にパスして、その後採用面接を経なければいけません。受験時に入区を希望する行政区を3つ伝えます。試験後の面接で入区希望を出したいずれかの区で採用が決まればいいのですが、そこで決まらなければ、今度は別の区から声がかかるのを待たなければなりません。私は最初の面接で希望していた区の選から漏れ、ほかの区から面接の声がかかるのを待つことになりました。気がつけばもう9月になっていて焦りや不安を感じ始めていた矢先に、渋谷区から「面接に来ませんか」とご連絡をいただいたんです。渋谷区は特別行政区のなかでも人気があると思っていたのでまさか自分に声がかかるとは思わず、驚きましたが、声をかけていただけたことも嬉しかったですし、渋谷には学生時代にたびたび足を運んでいたこともあって、面接を受けさせていただき、採用してもらうことになりました。

2019年に開庁したあたらしい渋谷区役所。地元住民はもとより、各国から訪れる観光客に対しても開かれた場として、渋谷の新たなランドマークのひとつとなっている。写真は渋谷区役所ウェブサイト「しぶやフォト日記」より転載(https://www.city.shibuya.tokyo.jp/kusei/koho/photo/2019_1news.html


現在は税務課で働いています。と言っても、まだ入区して2年目なので、ほかの課の仕事もわかっているわけではないですが、「税」という、社会を運営していくための要となる仕組みに携わることは新鮮です。ふだん生活しているとあまり意識することはないかもしれませんが、政策の決定ひとつで税制全体に影響が及ぶこともあります。税制が変われば税をめぐる仕組みを組み直さなければなりませんから、税務課としてはシビアになります。そうなると、政治の情報へのアンテナが変わってきます。区役所での実務から新たな視点を教えられる毎日です。いままで考えたことはなかったですが、文芸・思想専修の授業を通じてものの見方が変わる楽しさを知れた経験があるから、こういうことを前向きに捉えられているのかもしれないですね。

まだまだ先の話ですけれど、将来的には子育て支援をする課で働いてみたいと思っています。きっとそのときにも、利用者との対話や現場での仕事からなにかを教わるのだと思います。そのときに、いくつになってもその変化を楽しめる自分でいたいですね。