さまざまな分野で活躍する文芸・思想専修の卒業生を紹介するインタビュー。今回ご紹介するのは、ディレクターとしてNHKの「Eテレ」(教育テレビ)の番組制作などを手がける、岡﨑理恵さんです。


小説家志望者、東京で落語に出会う──文芸・思想専修を選んだ理由

私は子どもの頃から、お話をつくったりするのが好きでした。小さな頃は一人で人形劇をつくったり、マンガを描いたり。高校生の頃からは小説を書くようになって、将来は小説家になりたいと思っていました。腰を据えて小説の創作などに向き合える大学はないかと探して出会ったのが、立教の文芸・思想専修だったのです。

晴れて合格したはいいものの、地方の出身なので、上京して、一人暮らしを始めて、大学に通い始めた頃は、広大な宇宙にひとりぼっちで漂っているような気持ちでした。同郷の知り合いは誰もおらず、この先自分は本当に一人でやっていけるんだろうかと不安でいっぱいでした。

そんな私が出会ったのが、落研(おちけん)、落語研究会のサークルでした。落語は、実家でたまに父が聞いているのを耳にしたことがあった程度で、ゆるそうな雰囲気に惹かれてなんとなく入ってみたんです。そうしたら子どもの頃から勝手に劇をつくって遊んだりしていたように、ストーリーテーリングが好きだった自分の気質と合っていて、すっかり落語の世界の虜になりました。

だから、私の東京での新生活は、大学と寄席通いの二本立てで走り出していったんです。


書きたいという思いと、産みの苦しみ──文芸・思想専修での日々

文芸・思想専修では詩やエッセイ、小説を書いたりする創作系の科目を率先して履修しました。特に今の自分に大きな影響を与えているのは、少人数で行われるエッセイや小説を書く演習と、卒業論文の執筆です。

書くことについてはなかなか結果が出ずにずいぶん悔しい思いをしました。小説を書く演習では、課題として出されたテーマで書いた作品を提出し、その中でも優秀なものを数点、先生が取り上げて講評する、というのを繰り返すんです。自分としては一生懸命書いているんだけど、なかなかそこで取り上げてもらえないんですね。

ただ、その授業の最後の回に、それまであまり向き合ってこなかった自分の過去をテーマにした作品を書くことにしたんです。書いている間は、自分自身と向き合うのがしんどくなって、ときには胸が苦しくなることもありました。けれどもなんとか書き上げて提出したら、先生からすごく評価していただいたんです。書くことにはこういう産みの苦しみがある──自分自身が揺らぐような経験なしに、いいものを書いたりつくったりはできないんだ、ということを知ることができたのはとても大きな経験でした。

両輪のもうひとつ、落研では暇があれば寄席に通うとともに、自分自身もアマチュア落語の大会で決勝まで行って賞をいただくことができました。それからはサークルの自主企画だけでなく、地域の公民館などに呼ばれては高座を持たせてもらう機会も増えました。

そうした中で授業の課題でも自ずと落語を題材にしたレポートを書くようになり、卒業論文では落語の「芝浜」という人情噺(にんじょうばなし)の分析をすることにしたんです。

そもそも「芝浜」という演目はいつ頃成立したのか。さまざまな落語家によって語られていく中で、どのように変化していったのか。時代や社会の変化とも照らし合わせながら、5人の師匠を対象に「芝浜」の語られ方の変化を3万字をかけて分析しました。

毎週のように指導教官に相談に行っては、きめ細かく指導をしていただき、大学の4年間を通じてかかわってきた落語について理詰めで考え、言葉にしていったことは、本当に大きな糧になっています。

岡崎さんは現在も仕事のかたわら、社会人落語家のグループ「たぬき連」の一員として週末などに活動をしている


人に何かを伝えていく──ディレクターの仕事

実は、大学3年までは本気で落語家になろうと思っていました。でも就職活動が始まるという時期になって、両親ともよく相談して、やはり一度は就職してみることに決めたんです。30歳までならプロの落語家に弟子入りできるので、そのときに後ろ髪を引かれるようだったらもう一度考えよう。それまでは一般の社会に出て働いてみよう、と。やはり何かをつくって人に伝える仕事に就きたくて、マスコミの世界の門を叩いて内定をもらえたのがNHKエデュケーショナルでした。

NHKエデュケーショナルは、主にNHKのEテレ(教育テレビ)で放映される番組や、学校で使われる映像教材などの制作をしている会社です。

NHKの系列では入社1年目からディレクターを任されるのですが、私が最初に担当したのは、平日の午前中などに放送されている小中学生向けの理科や社会の番組です。子どもの頃、学校で授業中にみんなで見たりしたことのある、あれです。

私が担当したのは小学校の理科「ふしぎエンドレス」や、中学校の公民「アクティブ10公民」などだったのですが、この番組づくりで求められるのは、ある意味で学校の先生と同じように、学習指導要領に定められた学習内容を子どもたちに理解してもらえる映像をつくること。興味を持って見てもらえるよう、いろんな工夫をしています。たとえば公民(「アクティブ10公民」)では、ミュージシャンの岡崎体育さんが、番組のキャラクターのだるまさんと一緒に、「法律はなぜ必要?」とか、「税金、安けりゃイイの?」といった社会の仕組みをめぐる疑問を出発点にして対話する、という形式で進められます。

現在担当しているのは、「沼にハマってきいてみた」という主に十代向けのバラエティ番組です。若い人の言葉で、何かに没頭することを「沼にハマる」と言いますよね。たとえばカメラが趣味の人がいろいろなレンズを蒐集することを「レンズ沼にハマる」と言うように。そうやって何かにハマっている若い人を取材して、対象となっているテーマの魅力を伝えよう、という番組です。

ちょうど今つくっているのは、私自身の大学生活とも深く関わる「落語沼」をテーマにした回(2019年7月30日放映)。実際に落語をやる高校生の男の子と、寄席に通い詰める大学生の男の子、それに歌丸師匠の大ファンという大学生の女の子を取材しています。

落語って、「古くさい」というイメージを持っている人も多いと思うんです。そのハードルを少しでも下げて落語に出会ってもらえるよう、「落語沼」にハマっている若者三人から、三者三様の切り口で落語の魅力に迫っていく。「明日は寄席に行ってみよう」と思う人が増えてくれたら嬉しいですね。


「書く」ことを通じて得た、自問自答の拠りどころ

ディレクターというのは、構成を練り、取材をして、キャストを揃えて、台本を書き、演出を考え、収録にのぞみ、撮れたものを編集して放送まで持っていくという、映画で言えば監督のポジションです。民放や一般の制作会社ではAD(アシスタント・ディレクター)として数年間、修行を積んでからひとり立ちすることが多いのですが、NHKでは1年目からディレクターとして自分の責任で番組をつくらなくてはいけないんです。誰が手ほどきをしてくれるわけでもないので、1年目は浮き輪もなしに大海原に放り出された感じで、途方に暮れました。

入社して3年目の現在、慣れてきたとは言え、ディレクターというのは孤独な職業だなと感じます。もちろん、いろんな方々に支えられているのですが、その方々を動かすのも、私の判断。その判断の積み重ねが、クオリティに直結する。だから、「これは本当に伝わるのか? 興味を持って受け止めてもらえるのか?」といった不安や緊張感は常につきまとっています。

でも、それは「書く」ことも一緒なんですよね。こうやって番組をつくりながら自問自答していくときに、学生時代に書くことを通じて体験した産みの苦しみは、今も大きな拠りどころになっています。

文芸・思想専修は、自分の考えていることを言葉にしたり、表現する機会が格段に多い場所です。「何かを書きたい、つくりたい」という思いがある人は、ぜひ文芸・思想専修という創作実践の場に来られるといいのではないかと思います。

NHK for School  https://www.nhk.or.jp/school/

沼にハマってきいてみた https://www.nhk.or.jp/hamatta/