※本コンテンツは、2016年度の文芸・思想専修紹介リーフレットに掲載されたものを再録しています


文芸・思想専修はどんな場所ですか?

菅野 私が文芸・思想専修に赴任した時に、なにより驚いたのは少人数制で教育環境がとてもいいということです。どの学年でも20人前後の演習が用意されていて、教員から生徒一人一人の顔が見える。学生の側にも必ず発言する機会が与えられる。

学生の態度もとても真面目で反応がいい。まず本を読むことが好きな学生が多いし、それまでは知らなかったような分野のテキストを提示しても、むしろ自分の知らなかったことだからこそ面白いと言って食いついてきてくれる。これは教員としてとてもやり甲斐のある環境です。

林みどり  おっしゃる通り、少人数による演習が数多く用意されていることは文芸・思想専修の特徴だと思います。哲学的な営みであれ、創作実践であれ、重要なのは結果ではなく、プロセスであり、その生成の場をどうつくっていくかということです。

少人数の演習では、同じ文学作品を読んでも、自分が読み飛ばしていた部分を、隣の席にいる人がその個人的な体験をもとにまったく別の着眼点で読んでいて、そこから新たな議論が生まれていったりする。我々教員は、既にある文学作品や芸術作品を参照しながら、学生が自分の体験を振り返って考えるための言葉やものの見方を提示して、そうした議論を呼び起こし、一人ひとりが新しい表現を生みだしていくのを促すのが仕事だと考えています。

文芸・思想専修ではそのようにして様々な他者の言葉に向き合い、自分の言葉を紡いでいくという訓練を徹底してやっていきます。


ご自身はどうして文芸や思想の道に進んだのですか?

菅野  私は法学部の出身です。もともと小説を読むのは大好きで、音楽や芸術にもとても関心があったのですが、私が学生の頃は「女の子は文学部にでも行っていればいい」という風潮があり、その枠にはまってしまうことに抵抗を感じて、悩んだ末に法学部を選び政治思想を専攻しました。

日本で政治思想研究というと福沢諭吉や丸山真男が主流ですが、私はそうしたメインストリームからはこぼれ落ちているものが気になって仕方なかったんです。たとえば、明治に翻訳語としてつくられた「恋愛」という言葉が、大正期にどのように流通し、消費されてきたのか。古い雑誌を総ざらいしながら辿っていくと、そこには今日の我々にまで受け継がれている性や家族といったものに対する意識が、どのように形成されてきたのかが見えてきます。

これは学生にもよく言うのですが、「政治に関心がない人」はいても、「政治に関係のない人」はいないのです。私たちの私生活や日常は、私たちが意識している以上に公的なものに委ねられています。いかなる文学的、芸術的表現も、政治的文脈とは無関係ではいられません。だから、そうしたことを引き受け、その現実と切り結ぶような創作活動をしているアーティストにはとても関心があります。

林みどり  私はもともと文学部にいて、イタリア系アルゼンチン人の作家に興味を持って研究を始めました。けれどもそれは単なる文学研究には到底収まらなかったんですね。なぜなら、ラテンアメリカのことを知ろうとすると、それを植民地としたヨーロッパのことを調べざるをえないし、当然そこには権力や政治の問題が渦を巻いているからです。

文学を研究するということは、閉じられた作家論・作品論ではありえません。その作家がどういう社会的・歴史的背景の中で生まれてきたのか、どういう層によって読まれたのか、読まれることによって何が生まれてくるのか、というように、政治や社会科学の領域へと越境していかざるをえない。つまり、政治と文学、あるいは社会と文化が混沌となってつくる大きなダイナミズムみたいなものを扱うことになっていったのです。

菅野先生は政治思想から文学・文化研究へ、私は文学・文化研究から政治思想へというように、一見するとアプローチは逆ですが、分野を越境することで現実のダイナミズムを捉えようとしているところは共通していると思います。表面的には分かたれたように見えるものの皮を一枚剝いだところにある現実を、横断的に捉えようという考え方は、文芸・思想専修のコンセプトでもあります。


文芸・思想を学ぶことは、社会でどんな役に立つのでしょうか?

菅野  ただ、文学や哲学というのは、たとえば劇場や美術館のような物理的な空間を持つ演劇や美術と比べて、本を閉じ目を逸らせばいつでも切断されてしまいます。そういう意味で切断しづらいものを埋め込んでいくのが、大学という場なのかもしれません。

社会で求められるのは、突きつめて言えば言葉の運用能力です。それは単に英語ができるとか中国語ができるということではなく、定型的な表現では捉えられない目の前の現実や他者の考えを理解し、自分の考えていることを言葉にしていく力です。それは、最終的なアウトプットが言語による表現ではなくても同様です。映像表現でも、お金の運用でも、子育てでもそのプロセスでは言葉が求められるのです。

就職活動で書かなくてはいけないエントリーシートや、会社に入って書くことになるであろう企画書だって同じです。文芸・思想専修で、少人数の中で徹底的に報告をし、レポートを書き、自分なりの表現を積み重ねるということを4年間やると、どこに行っても通用するだけの力がつきます。大事なのは、骨惜しみをしないことです。

林みどり 大学にいる間に経験して欲しいのは、失敗を重ねることです。社会に出ると、そうそう失敗はできないし、失敗するとそうとう痛い目にあいます。4年間で失敗を重ねながら、どういうふうに言葉をまとめて、伝えれば、相手に理解されるかということを学んで欲しい。私たちはそれにじっくり付き合います。

自分の考えていることを言葉にした時、相手に「わからない」という顔をされ、「自分の言葉が伝わっていないんだ」と感じることは、ショックだと思います。なぜ伝わらないのか、どうしたら伝わるのか、ということをもう一度問い直し、めげずに言葉をつむいでいく。その時間がたっぷり4年間ある。最初はわかってもらえないと思っていたことを表現できた時、相手に伝わった時の喜びを体験して欲しいですね。