さまざまな分野で活躍する文芸・思想専修の卒業生を紹介するインタビュー・シリーズ。第2回は、ミュージシャンのAZUMA HITOMIさんです。 AZUMAさんは在学中にフジテレビ系アニメ『フラクタル』のオープニング・テーマ曲でメジャーデビュー、機材やパソコンに囲まれた自宅のプライベートスタジオで作曲・レコーディングをする「新世代の宅録女子」の異名を持ち、2014年には矢野顕子さんのアルバムで編曲を担当し話題を呼びました。
実験精神にも溢れたJ-POPの新たな才能として注目を浴びるAZUMAさんに、文芸・思想専修を選んだ理由、その学生時代と音楽家としての仕事について、おうかがいしました。
音楽をつくることは、人を知ること、言葉を知ること
──文芸・思想専修を選んだ理由
中学生のころから、自分は音楽で生きていくと決めていました。普通だったらその後はバンドを組んで、ライブをやって、みんなでワイワイやるようになるのでしょうけれど、通っていた中学・高校がとても厳しくて「ライブをやるなんてとんでもない!」というところだったんです。でも音楽をやりたい。曲をつくりたいし、歌いたい。そんな状況ゆえ、自宅でパソコンや機材を使って作曲やレコーディングを始めるようになりました。今は「宅録女子」が代名詞のようになっているのですが、「宅録」は自分の欲求と環境の兼ね合いから生まれた形態でもあるんです。その頃は、とにかく自由に音楽をやりたいって思いながら曲をつくっていました。
そして、同じくらい学ぶことにも興味を持っていました。小学生のとき、図工の先生に「芸術には国語も算数も、理科も社会も全部入っているんだよ」と言われたんです。私はその言葉がずっと頭に残っていて、自分も表現するときは基本的な知識や学びから離れたくないし、学ぶなら音楽をより深くするものにしたいとも思いました。
音楽って何だろう? 音楽は人間がつくり出すものだから、人間を知りたいという欲求が音楽をつくる根源にはあるんじゃないか? 人間を知るにはなにを学べばいいんだろう? ──いろいろ考えていくうちに、行き当たったひとつが「哲学」でした。一方で、音楽ももちろんですが、文章や詩を書く、言葉で表現するということにも興味がありました。いま、文芸だけでなくさまざまな分野でどういう表現がされているのかも知りたかった。
表現にとって一番大切で、誰もが使っているのは言葉じゃないですか。その言葉を学ぶことと、表現することは常につながっている。だから、インプットもアウトプットも両方できるところはないかなと思っていたんです。そうしたらちょうど、立教大学の文芸・思想専修のパンフレットを見て、「ここだー!」と思いました。思想も文芸も両方とも学べる、私が望んでいたことが全部あるって。
いくつか大学を受けたんですが、第一志望だった文芸・思想専修から合格をいただいたときは本当に嬉しかったです。高校3年生の頃はとにかく現役で合格できるように一生懸命勉強しました。早く自由に音楽をやりたかったんです。
言葉と音楽に真剣に向き合った学生時代
とはいえ、一人でやるのが自分の性に合っていたようで、大学では音楽サークルには入らずに、授業を受け、自宅で音楽をつくり、ライブやイベントに出演するという学生生活を送っていました。音楽をやっていると言うと、あまり授業には出ないようなイメージを持たれることも多いのですが、私の場合は逆。本当に授業が好きで、サボることはほとんどなかったですね。
文芸・思想専修には、さまざまな言葉に触れ、議論する場がいつも用意されていました。いわゆる古典作品だけでなく、文芸誌等に発表されたばかりの新しい作品や、自分たちの書いた文章を読み、感じたことをまた言葉にして、伝えることで、独りよがりにならずに思考と表現を深めていく。自分たちの使っている言葉や概念がどういう歴史性や文化的背景を持っているかを考えていく授業なども折に触れて思い出します。
小説や映画に限らず、社会的な問題でも日常的な経験でも、自分が感じたことを言葉にして人に伝えたり、作者や当事者はどういう思いでこういうことをしたんだろうと想像したり、他の人はどういうふうに感じたのだろうと考える。何事も、経験したらそれで終わりではなく、そこから始まるんだっていう考え方は、授業を通して自然に身についたと思います。
言葉の大切さを学ぶことは、同時に言葉ではどうにもならないこと、言葉の限界について学ぶことでもあると思います。他人の言葉に傷ついたり、自分の言葉が伝わらないことにショックを受けたり。文芸・思想専修では、そういう歯がゆさを体験しながら、それでも言葉を大事にして生きていきたいと考える友人にたくさん出会えました。言葉を真剣に考える者同士で、伝え合い、語り合ったことは本当に貴重な経験だったと思います。これから文芸・思想専修に入ろうという方も、今の在学生の方も、そういう時間は本当に無駄にしないで欲しいと思います。
演劇や映画を題材にすることの多い現代心理学部・身体表現学科の授業も、文芸・思想専修とはまた違うおもしろさがあって、他学部履修の登録をして受けました。そのために新座のキャンパスに月曜日の朝、1限から通っていたこともあります。卒業制作ではオリジナルの楽曲をつくり、あわせて演劇に関する小論文を提出しました。悩んだときは細かく相談に乗ってくれるし、私のように自分がつくりたいものが明確になっている場合は、自由にやらせてくれるフレキシブルな指導体制がよかったですね。
就職活動をするつもりはなかったのですが、大学2年のときに出版社でインターンをしたこともあります。突っ走るだけではなく、いろんな体験をしてみたかったんです。一方で大学4年の間にメジャーデビューするという目標を立て、ライブや音源制作を続けていました。メジャーデビューが決まったのは4年生のとき、授業も落ち着いてきた頃です。思想家で作家の東浩紀さんが原案のアニメ『フラクタル』のオープニング・テーマに「ハリネズミ」という曲が採用されたんです。大学の卒業と同時にデビューできるという、すばらしいタイミングでした。
震災と重なったデビュー──音楽家の活動
ところが、そのデビューは2011年の3月9日だったんです。その翌々日に東日本大震災が起こりました。当日は生放送番組に出る予定で放送局に入っていたのですが、当然番組は中止。その後、3月25日に予定されていた卒業式も中止になり、日本全体が一気に余裕がなくなりました。
人生の分岐点と震災が重なり、自分になにができるのかを否応なく考えさせられる1ヵ月でした。まず、電気を使って音楽をつくる宅録という制作スタイル。4月4日に控えていたデビューライブ。困っている人たちになにができるのか。ひとつひとつが大きな問題で、どれも真摯に向きあわなければならない。これからミュージシャンとして生きていく私はなにをどうすればよいのか、とにかく考え続けました。
そういう中で「自分には何ができるんだろう?」と思ってボランティアで石巻まで個人的に行ってみたんです。移動中のバスの中で、ボランティアメンバー同士が自己紹介をし合ったのですが、同席していた一人の方が「AZUMA HITOMIさんって『フラクタル』の人ですか?」と声をかけてくださったんです。
まったく知らない方が、自分の歌を聴いて、覚えてくれていた。こんな体験は生まれて初めてで、本当に嬉しかったです。自分が現地に行って手を動かすこともできるけれど、ミュージシャンとして、音楽をつくって届けることも誰かの力になれるんじゃないかって思えた。この道でやっていく自信につながったんです。4月のデビューライブも行う決心がつきました。
Mac、複数のアナログシンセ、ペダル鍵盤、全自動キックマシーンなど大量の機材を一人で操り、自ら制作・プログラムしたLED照明システムが点滅するライブ・パフォーマンスは「要塞ライブ」と称される(AZUMA HITOMI Official Channelより[クリックすると音声が出ます])
ライブは「ものすごくインパクトがあるね」とよく言っていただくのですが、このスタイルをつくることができたのも、批評的にものごとを考える訓練をしてきた成果の一つと言えるかもしれません。というのは、世の中には本当にたくさん女の子のシンガーソングライターがいますよね。そういう中で自分を客観的に捉え直して、自分の表現したいことを知ってもらうにはどういうパフォーマンスをするのがいいかをよく考えたんです。自分は80年代のニューウェーブが好きで、そのことをわかってもらえるようにしたい。最初にインパクトを与えて、興味を持ってもらわないと、その次に踏み込んでもらえない。そんなことをいろいろ考えながら試行錯誤していったら、「要塞ライブ」と言われる今のスタイルのライブになっていったんですね。
音楽をやるのは、もちろん音を鳴らすのが楽しいということがあります。でもそれだけじゃなく、音楽をやることで、私が世界をどう見ているかを伝えたいし、自分が何を感じて、いま歌うべきことは何かを考えながら歌っていきたい。そういう気持ちは年々強くなっています。
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