戸谷 そうですね、いろいろあるんですけど(笑)。先ほど河野先生からアドバイスを頂いてありがとうございました。とても参考になりました。ちょっと背景をお話しすると、僕の大学ではそもそも哲学科がないので、「哲学って必要あるの?」みたいな問いに答え続けないといけないんです。そうすると、「哲学対話をするとこんないいことがあるよ」「学生がこんなに成長しますよ」ってことを言いたいんですよ。ただ、いわゆる量的な評価指標というか、資格のスコアのようなものに結び付く能力開発を目標にすることができないので、それで先ほどのような質問が出てきたわけです。ただ、そうですね。学生自身に評価軸を作らせるということですかね。ちょっと参考にさせていただいて、引き続き研究していきたいと思います。

河野 言われてもクビになんないから大丈夫ですよ。

戸谷 いや、それはわからないじゃないですか(笑)。
 永井先生と河野先生のそのあとのお話というか、課題感というのは、私もすごく共有するところでして、先ほど応答の話が出ていたと思うんですけど、無視をすることっていうのも応答の一つなのではないかと思っています。例えば誰かがすごく真剣に何かを問いかける場に対して、あたかもそれがまるで価値がない問いであるかのような態度を取るっていうのは、それ自体が一つの問いに対する応答になっていると思うんですよね。いわゆる「哲学対話の授業」というふうになると多分哲学対話がしたい学生が来るので、そういう態度を取る学生はあまり来ないんじゃないかなと思うんですけど、不特定多数の、それこそ100人とか200人とかいる授業で哲学対話をしようとすると、どうしても消極的な学生が出てきて、消極的な学生が介在することによって、それだけで対話がしづらい雰囲気ができてしまう。場が硬直してしまうっていうことがあります。この状況はいかにして打破したらよいのかっていうのは、僕もすごく悩んでいるところですね。

渡名喜 ありがとうございます。齋藤さん、何か今までの大学での実践ですとか、社会での実践から、何か今のことについて思うところはございますか。

齋藤 そうですね。評価については僕もまったく河野さんと同じで(笑)、評価は「しない」というのが基本だと思っています。それで、特に今戸谷さんが言われた問題は、僕もしばしば感じることで、授業の形態によって、あるいは学生さんの数によって、対話がしにくくなるというところはあります。わけても、数が増えれば増えるほど対話ってしゃべれなくなる。特にオンラインの環境下だともう全然しゃべらない、カメラもオンにしない、黒い画面にただ名前が出てるだけっていう、そういう学生が一時期増えたんですね。それで、「何でしゃべらないんだろう」っていうことについても彼らにしゃべってもらいました。そうするとしゃべれない子たちもしゃべってきたりする。「これこれこういう気持ちだからしゃべれない」みたいな。「全然顔も知らない人の前でしゃべるなんてそんなのできるわけないじゃない」っていう至極当たり前の意見が出てきたりします。でもそういう時にようやくしゃべっている学生たちが自分たちのなかで気がつくんですね。しゃべりたい学生だけがしゃべっていて、そうじゃない学生のことをどこかで既にしてないがしろにしている、あるいはそういう場に参加したくないような場を作ってしまっているのかもしれない、と。そういうことを対話をとおして彼らに考えてもらうというのも、一つのやり方としてはあるんじゃないかなというふうに思います。

後編へ続く