帰還する幽霊というモチーフ

福嶋 難民の問題に加えて、初期の作品から「帰還」というテーマがありますよね。「夜神楽」と「ばあばあ・さる・じいじい」では、「浦」そのものと同化した語りがいわば野坂昭如ふうの豊かな饒舌体で紡がれていく。その豊かな語りを一回切断して新しい作品をつくっていこうとするときに、「浦」に「帰還」する人間が登場してくる。しかも、普通の人間としてというよりは、幽霊のような姿で帰ってくる。これは小野さんの一貫したテーマかと思いますが、だいたいいつ頃つかまれたのでしょうか。

小野 僕の田舎はわりと死者と生者の距離が近いんです。小さなコミュニティで人間関係が密だからか、そもそも会話に出てくる話題と言ったら、もっぱら他人のことです。つまり、人の話ばっかりしている。生きている人の話と同じように、死んだ人の話もよく出てくる。わりと自然なことなんです。墓地もすぐそこにあるし。書き始めたときから、幽霊みたいな存在が出てくることには、特に違和感がなかったですね。

福嶋 『百年の孤独』のマコンドは開拓民がつくった街ですが、「浦」は逆に、開拓民を送り出してきた集落ですよね。そして、満州あたりに送り出された人間が、まるで幽霊船に乗ったような形で帰還するのが『にぎやかな湾に背負われた船』でしょう。生者だけでは「浦」は完結しない。ジャック・デリダ的に言うと、幽霊的に再来する者たちが集うトポスとして「浦」がある。そのように書く意志は初期からあったのではないでしょうか。

小野 言われてみると、それしかやっていない感じがする(笑)。『獅子渡り鼻』が英語に翻訳されたとき(Lion Cross Point, 2018, San Francisco:Two Lines Press.)、アメリカの版元の招きで、アメリカの書店をいくつか回ってイベントをやりましたが、ヒューストンの書店で、こう聞かれました。「文治」という登場人物が出てくるが、これはまさにゴーストですよね、と。主人公の少年には本当に見えているのだと思いますよ、と答えたんですが、それがうまく通じなかった気がします。僕の英語のせいかもしれませんが。ともかく、ゴーストの物語として読まれていたということなんです。しかも、なかなかアメリカ的な解釈というか、「これは幽霊、つまり『尊』という主人公の少年や集落の人々のトラウマが形をとってあらわれたものなのではないか」とか「無意識の回帰じゃないか」と指摘されました。ああなるほど、と思ったのも確かなんです。そこには送り出した側の無意識の罪の意識というか、共同体のトラウマみたいなものが表現されているとも言えるのではないかと。「文治」という人物は、そういう存在というか化身なのかもしれない。

福嶋 それは重要な問題ですね。小野さんは一見すると、神話的なコスモスの懐に抱かれて小説を書いているように見える。しかし、本当はそこにトラウマ的な歴史性が忍び込んでいるということですよね。

戦争の身近さ

福嶋 九州は日本の敗戦の打撃がとりわけ大きかったと思うんですよ。植民地を失って、九州の企業はいろんな形でダメージを受けた。例えばチッソのような企業も戦前は外地に工場を持っていたわけですから、もし日本が戦争に負けなかったら、水俣病が満州や朝鮮で起こった可能性もあるわけです。あるいは、福岡の門司出身の林芙美子も『浮雲』(1951)の屋久島に船出するシーンで、日本が植民地を失ったことに「身体をもぎ取られた」というような表現を与えています。九州人にとって敗戦の持つ意味は、ほかの日本人とはいささか違うところがあったのではないかという気もするんです。

小野 僕はとても小さい集落で生まれ育ちましたが、そんなところでも相当な数の人が戦死しているんです。よその家に行くと、たいていの場合、仏壇やその傍らには兵士の格好をした若い男性の白黒写真がありました。戦争で身内の人が亡くなっている家が多いんですね。各集落には、「軍人墓地」と呼ばれている、兵士として死んだ人たちの墓地があります。墓の側面には、亡くなった年齢と場所が刻まれていますが、多くの若い命が、アジアのさまざまな土地で、失れていることに驚いたものです。
気になって年寄りにいろいろ聞いたりすると、シベリア抑留を経験したことがあるおじいさんとか、「満州で生活していたとき、私は馬に乗っていたんだ」とか言うおばあちゃんもいて、個人的な体験を聞かせてくれた。

福嶋 そういう経験が『にぎやかな湾に背負われた船』に反映されているわけですね。

小野 そうやって口伝えで聞いた話を、作品の中に書きたいというのがあったんです。でもね、みんな適当なことを言うんですよ(笑)。片腕のないおじいさんを見て、幼い僕が理由を聞いたら、「あれは戦争でやられたんじゃ」と教えられたのに、実際は単に事故でなくしただけとかね。

福嶋 そうやってフェイク・ヒストリーがつくられていくわけですね。